だいじょう‐きゅう〔ダイジヤウ‐〕【大×嘗宮】
大嘗宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:08 UTC 版)
大嘗祭を行う祭祀の場所を大嘗宮という。これは大嘗祭のたびごとに造営され、斎行された後は破却、奉焼されてきたが、令和の大嘗祭から初めて資材が再利用されることになった。 古来、造営場所は朝堂院の前庭であった。祭の約10日前に材木と諸材料と併せて茅を朝堂院の前庭に運び、7日前に地鎮祭を行い、そこから数えて5日間で全ての殿舎を造営し、祭の3日前に竣工していた。後に大嘗宮の規模は大正、昭和の大典時と同規模と企画されるも、一般建築様式の大きな変化と共に、その用材調達、また技術面でも大きな変化があるためといった理由で、古来の大嘗宮のように5日間では造営できなくなったため、現在では数カ月かけて造営している。令和の大嘗宮は清水建設が9億5700万円で一般競争入札で落札し受注した。 童女が火を鑽出して国司や郡司の子弟の持つ松明に移し、その8人童男童女が松明を掲げて斎場に立ち、工人が東西21丈4尺(約65メートル)、南北15丈(約46メートル)を測って宮地とし、之を中に分け東に悠紀院、西に主基院とする。そして両国の童女が木綿をつけた榊を捧げ、両院が立つ四隅と門の場所の柱の穴に立て「斎鍬」(いみくわ)で8度穿つ。東西に悠紀殿・主基殿、北に廻立殿を設け、それぞれの正殿は黒木造 (皮つき柱) 掘立柱、切妻造妻入り、青草茅葺きの屋根、8本の鰹木と千木、むしろが張られた天井を有する。外を柴垣で囲み、四方に小門をつける。使用された木材は長野県産カラマツ(柱)、北海道産ヤチダモ(神門)、静岡県産スギ(外壁)のほか、奈良県産、京都府産など約550立方メートル。 各社殿は以下の通りである。(画像について、特に明記のない場合は令和の大嘗宮のものである。) 悠紀殿(ゆきでん) 主基殿(すきでん) 大嘗宮の中心をなす殿舎。「悠紀殿の儀」「主基殿の儀」と、同様の祭祀を2度繰り返して行う。 殿内には中央に八重畳を重ねて敷き、その上に御衾(おんふすま)をかけ、御単(おんひとえ)を奉安し、御櫛、御檜扇を入れた打払筥を置く(寝座)。その東隣に御座がおかれ、伊勢神宮の方向を向いている。御座と向かい合って神の食薦(けこも)を敷き、事実上の「神座」として扱われる。 黒木造、切妻屋根、茅葺き、畳表張り、千木は悠紀殿が内削ぎ、主基殿が外削ぎ。 悠紀殿 悠紀殿の千木(内削ぎ) 主基殿 主基殿の千木(外削ぎ) 令和の大嘗祭における悠紀殿・主基殿・廻立殿の屋根は板葺きになっている(画像は主基殿の屋根) 大正期大嘗宮の悠紀殿 大正期大嘗宮の主基殿 廻立殿(かいりゅうでん) 悠紀殿、主基殿の北側に設けられており、祭祀に先立ち、天皇が沐浴を行う。殿内は東西二間に仕切られており、西の部分を「御所」、東の部分を「御湯殿」と呼ぶ。大正以降は皇后も祭祀に列するようになったため三間に仕切るようになり、中央の部分が御所、西の部分が御湯殿となり、東の部分では皇后が斎服を着用する場となった。 黒木造、切妻屋根、茅葺き。床は竹簀と蓆。 廻立殿 大正期大嘗宮の廻立殿 雨儀御廊下(うぎおろうか) 儀式に際して、天皇が行き来する屋根付き廊下。 雨儀御廊下 頓宮(とんぐう) 廻立殿のさらに北側に設けられており、天皇はまずここに入り、そこから廊下を通り廻立殿に入る。 帳殿(ちょうでん) 悠紀殿、主基殿の外陣のそばにあり、祭祀の間、皇后が控える。 切妻屋根、板葺き 昭和期大嘗宮の帳殿 小忌幄舎(おみあくしゃ) 祭祀の間、男性皇族が控える。 切妻屋根、板葺き 悠紀殿側(東)の小忌幄舎 主基殿側(西)の小忌幄舎 殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ) 祭祀の間、女性皇族が控える。 切妻屋根、板葺き 殿外小忌幄舎(鳥居の奥の建物) 膳屋(かしわや) 神饌を調理するための建物。 悠紀殿側(東)の膳屋 主基殿側(西)の膳屋 神門(しんもん) 大嘗宮の東西南北に設けられた鳥居。 黒木造 南神門 西神門 北神門 楽舎(がくしゃ) 奏楽を行う楽師がいる建物。 切妻屋根、板葺き 主基殿側(西)の楽舎 風俗歌国栖古風幄(ふぞくうたくずのいにしえぶりのあく) 悠紀・主基両地方及び国栖の歌を奏する建物。 悠紀殿側(東)の風俗歌国栖古風幄 主基殿側(西)の風俗歌国栖古風幄 庭燎舎(ていりょうしゃ) 各神門を照らす庭火を焚いた建物。中央部の穴に薪を入れた。 南神門傍の庭燎舎 昭和期大嘗宮の庭燎舎で庭火を焚く火炬手 斎庫(さいこ) 悠紀・主基両地方から採れた新米を収納した建物。 斎庫 幄舎(あくしゃ) 皇族以外の参列者が控えた場所。 「今次大嘗宮イメージ写真」の題名の左斜め上の長い白の天幕が幄舎 一般公開を前に、いち早く撤去して見学者の撮影スペースとなっている。 外周垣(がいしゅうがき) 大嘗宮の外側を囲む垣根。よしず垣である。 外周垣 外周垣(拡大) 昭和期大嘗宮の外周垣(現在とは異なり、垣根は板垣で、門の形式は鳥居で、高さも高かった。) 柴垣(しばがき) 外周垣の内側にあるもう一つの垣根。出入口は鳥居型の神門である。 柴垣 柴垣(拡大)。古来からドングリを食用としてきたスダジイの枝がさしてある。 昭和期大嘗宮の柴垣(現在とは異なり、高さが高かった。) 黒木灯籠(くろきとうろう) 大嘗宮を照らす灯籠。黒木(樹皮が付いた木)で造られた。 黒木灯籠 椎の和恵(しいのわえ) 「和恵差(わえさし)」とも言い、葉が付いたスダジイの小枝が膳屋や柴垣に取り付けられている。 膳屋に付けられた椎の和恵 柴垣に付けられた椎の和恵 建設中の「令和の大嘗宮」 - 2019年10月9日現在の工事状況 大嘗宮の全体模型、奥「主基殿」手前「悠紀殿」右側「廻立殿」 大嘗宮の全景 左より「主基殿」「廻立殿」「悠紀殿」 「主基殿」 同左、詳細 一般公開(2019年11月21日 - 12月8日)された「令和の大嘗宮」 11月21日より公開された大嘗宮に集まる見学者 主基殿、手前は楽舎・衛門幄・庭燎舎 背後から見た主基殿(右)と廻立殿、中央奥は庭燎舎、その奥に悠紀殿の屋根が見える 衛門幄と南神門、奥は威儀幄、さらに殿外小忌幄舎 悠紀殿側の小忌幄舎(右)と風俗歌国栖古風幄 主基殿側の小忌幄舎(左)と風俗歌国栖古風幄
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