皇位継承一覧とは? わかりやすく解説

皇位継承一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:05 UTC 版)

皇位継承」の記事における「皇位継承一覧」の解説

初代天皇神武天皇から第126代天皇今上天皇に至るため、125回の皇位継承が行われてきたことになる。 うち、66回は崩御死去)による皇位継承在位中の天皇死去により皇嗣践祚・即位する)、59回は譲位退位)による皇位継承在位中の天皇がその存命中に退位譲位し皇嗣践祚・即位する)である。 「天皇の一覧」も参照譲位#譲位した天皇の一覧」も参照 回数継承者継承者続柄世数践祚備考1 神武天皇 皇太子神渟名川耳尊 第三皇子 一世親王 綏靖天皇元年紀元前581年1月8日 神武天皇76年紀元前585年3月11日初代天皇神武天皇崩御。これを受けて第2代天皇即位諒闇中にタギシミミの反逆が起こる。 2 綏靖天皇 皇太子磯城津彦玉手看尊 第一皇子 一世親王 安寧天皇元年紀元前548年7月15日 綏靖天皇35年紀元前549年5月10日綏靖天皇崩御。これを受けて即位。 3 安寧天皇 皇太子大日本彦耜友尊 第二皇子 一世親王 懿徳天皇元年紀元前510年2月4日 安寧天皇38年紀元前511年12月6日安寧天皇崩御。これを受けて即位。 4 懿徳天皇 皇太子観松彦香殖稲尊 第一皇子 一世親王 孝昭天皇元年紀元前475年1月9日 懿徳天皇34年紀元前477年9月8日懿徳天皇崩御。これを受けて即位。 5 孝昭天皇 皇太子日本足彦国押人尊 第二皇子 一世親王 孝安天皇元年紀元前392年1月7日 孝昭天皇83年紀元前393年8月5日孝昭天皇崩御。これを受けて即位。 6 孝安天皇 皇太子大日本根子彦太瓊尊 第一皇子 一世親王 孝霊天皇元年紀元前290年1月12日 孝安天皇102年紀元前291年1月9日孝安天皇崩御。これを受けて即位。 7 孝霊天皇 皇太子大日本根子彦国牽尊 第一皇子 一世親王 孝元天皇元年紀元前214年1月14日 孝霊天皇76年紀元前215年2月8日孝霊天皇崩御。これを受けて即位。 8 孝元天皇 皇太子稚日本根子彦大日日尊 第二皇子 一世親王 孝元天皇57年紀元前158年11月12日 孝元天皇57年紀元前158年9月2日孝元天皇崩御。これを受けて即位。 9 開化天皇 皇太子御間城入彦五十瓊殖尊 第二皇子 一世親王 崇神天皇元年紀元前97年1月13日 開化天皇60年紀元前98年4月9日開化天皇崩御。これを受けて即位10 崇神天皇 皇太子活目入彦五十狭茅尊 第三皇子 一世親王 垂仁天皇元年紀元前29年1月2日 崇神天皇68年紀元前30年12月5日崇神天皇崩御。これを受けて即位11 垂仁天皇 皇太子大足彦忍代別尊 第三皇子 一世親王 景行天皇元年71年7月11日 垂仁天皇99年70年7月14日垂仁天皇崩御。これを受けて即位12 景行天皇 皇太子稚足彦尊 第四皇子 一世親王 成務天皇元年131年1月5日 景行天皇60年130年11月7日景行天皇崩御。これを受けて即位13 成務天皇 皇太子足仲彦尊二世王 仲天皇元年192年1月11日 成務天皇60年190年6月11日成務天皇崩御。これを受けて即位14 仲哀天皇摂政皇太后息長帯比売命皇后 五世女王 神功皇后元年201年10月2日 仲哀天皇9年200年2月6日仲哀天皇三韓征伐最中崩御皇后三韓征伐および天皇崩御に伴う皇位継承争い指揮し年少皇太子誉田別尊代わり摂政として政務代行する長年にわたり即位説があったが、大正14年1925年)の皇統譜令発布に伴い即位事実は公式に否定された。 14 仲哀天皇神功皇后皇太子誉田別尊 第三皇子 一世親王 応神天皇元年270年1月1日 神功皇后69年269年4月17日神功皇后崩御。これを受けて即位15 応神天皇 大鷦鷯尊 第四皇子 一世親王 仁徳天皇元年313年1月3日 応神天皇41年310年2月15日応神天皇崩御皇太子指名されていた菟道稚郎子大鷦鷯尊との間で皇位譲り合い続け皇太子自殺したため、大鷦鷯尊即位した16 仁徳天皇 大兄去来穂別尊 第一皇子 一世親王 履中天皇元年400年2月1日 仁徳天皇87年399年1月16日仁徳天皇崩御。これを受けて即位諒闇中に住吉仲皇子謀反起こし討伐される。 17 履中天皇 皇太子多遅比瑞歯別尊一世親王 反正天皇元年406年1月2日 履中天皇6年405年3月15日履中天皇崩御。これを受けて即位18 反正天皇 雄朝津間稚子宿禰尊一世親王 允恭天皇元年411年12月 反正天皇5年410年1月23日反正天皇皇太子定めないまま崩御群臣協議の上推戴される19 允恭天皇 穴穂皇子 第二皇子 一世親王 允恭天皇42年452年12月14日 允恭天皇42年452年1月14日允恭天皇崩御皇太子指名されていた木梨軽皇子素行不良により群臣支持得られず、皇太子討伐した穴穂皇子即位した20 安康天皇 大泊瀬稚武皇子一世親王 安康天皇3年454年11月13日 安康天皇3年454年8月9日安康天皇暗殺される大泊瀬稚武皇子混乱乗じて他の皇位継承権者排除し即位した21 雄略天皇 皇太子白髪皇子 第三皇子 一世親王 清寧天皇元年480年1月15日 雄略天皇23年479年8月7日雄略天皇崩御。これを受けて即位諒闇中に星川皇子の乱が起こる。 22 清寧天皇 弘計王 6親等 二世王 顕天皇元年485年1月1日 清寧天皇5年484年1月16日清寧天皇崩御。兄の皇太子億計王即位辞退受けて即位した23 顕宗天皇 皇太子億計王二世王 仁天皇元年488年1月5日 顕宗天皇3年487年4月25日顕宗天皇崩御。これを受けて即位24 仁賢天皇 皇太子小泊瀬稚鷦鷯尊 第一皇子 一世親王 仁賢天皇11年498年12月 仁賢天皇11年498年8月8日仁賢天皇崩御。これを受けて即位25 武烈天皇 男大迹王 10親等義兄 五世王 継体天皇元年2月4日507年3月3日武烈天皇8年506年12月8日武烈天皇崩御越前国豪族であった男大迹王中央の有力豪族推戴された。 26 継体天皇 皇太子勾大兄皇子 第一皇子 一世親王 継体天皇25年2月7日531年3月10日継体天皇25年2月7日531年3月10日)に継体天皇勾大兄皇子譲位即日崩御した。記録最初に見え譲位である。後世、この時期皇位継承争い起こっていた可能性指摘されている(辛亥の変)。 27 安閑天皇 檜隈高田皇子一世親王 宣化天皇元年12月536年1月安閑天皇2年12月17日536年1月25日)に安閑天皇崩御。これを受けて即位後世、この時期皇位継承争い起こっていた可能性指摘されている(辛亥の変)。 28 宣化天皇 天国排開広庭尊一世親王 宣化天皇4年12月5日539年12月30日宣化天皇4年2月10日539年3月15日)に宣化天皇崩御。これを受けて即位後世、この時期皇位継承争い起こっていた可能性指摘されている(辛亥の変)。 29 欽明天皇 皇太子渟中倉太珠敷尊 第二皇子 一世親王 敏達天皇元年4月3日572年4月30日欽明天皇32年4月15日571年5月24日)に欽明天皇崩御。これを受けて即位30 敏達天皇 大兄皇子一世親王 敏達天皇14年9月5日585年10月3日敏達天皇14年8月15日585年9月14日)に敏達天皇崩御。これを受けて即位31 用明天皇 泊瀬部皇子一世親王 用明天皇2年8月2日587年9月9日用明天皇2年4月9日587年5月21日)に用明天皇崩御。これを受けて即位諒闇中、大連物部守屋支援受けて穴穂部皇子皇位を争うが、泊瀬部皇子後援する大臣蘇我馬子暗殺される32 崇峻天皇 皇太后額田部皇女一世内親王 崇峻天皇5年12月8日593年1月15日) 祟峻5年11月3日592年12月12日)に崇峻天皇崩御大臣蘇我馬子推挙受けて即位33 推古天皇 田村大甥 二世王 舒明天元年正月4日629年2月2日推古天皇36年3月7日628年4月15日)に推古天皇崩御後継巡って田村王と山背大兄王との間で群臣意見分かれ大臣蘇我蝦夷裁定田村王が即位する34 舒明天皇 皇太后女王皇后 三世女王 皇極天皇元年1月15日642年2月19日舒明天皇13年10月9日641年11月17日)に舒明天皇崩御継嗣となる皇子が決まらなかったため、皇太后が後を継いで即位した35 皇極天皇 軽王三世皇極天皇4年6月14日645年7月12日皇極天皇乙巳の変受けて譲位中大兄皇子辞退受けて軽王即位した皇極天皇には「皇祖母尊」の尊号受けた36 孝徳天皇 皇祖母尊 姉 上斉明天皇元年正月3日655年2月14日孝徳天皇10年12月8日655年1月20日)に孝徳天皇崩御。これを受けて皇祖母尊重祚37 斉明天皇 皇太子葛城皇子 第二皇子 一世親王 天智天皇7年正月3日668年2月20日斉明天皇7年7月24日661年8月24日)に斉明天皇崩御。丁度百済復興のための半島出兵であったため葛城皇子即位せずに称制のままで指揮執る白村江の戦い敗北後敗戦処理を経て即位する38 天智天皇 皇太子太政大臣大友皇子 第一皇子 一世親王 天智天皇10年12月5日672年1月9日天智天皇10年12月3日672年1月7日)に天智天皇崩御。これを受けて即位皇太后倭姫王即位したとの説、即位せずに称制したとの説がある。仮に即位したとしてもその直後壬申の乱敗死したため即位関わる儀礼完了しなかった可能性もあり、大友皇子即位有無については学説分かれている(大友皇子即位説参照)。現在の政府見解では、明治3年1870年)に即位事実認定している。 39 弘文天皇 大海人皇子 叔父 一世親王 天武天皇2年2月27日673年3月20日天武天皇元年7月23日672年6月21日)に弘文天皇壬申の乱敗死勝利した大海人皇子即位弘文天皇即位疑いがあり、大海人皇子にとって都合が悪いので即位事実抹消され疑いがある(大友皇子即位説参照)。 40 天武天皇 皇太后鸕野讚良皇女皇后 二世内親王 持統天皇4年1月1日690年2月14日朱鳥元年9月9日686年10月1日)に天武天皇崩御諒闇中に大津皇子反乱皇太子草壁皇子病死起き皇太后即位する41 持統天皇 皇太子軽皇子二世親王 文武天皇元年8月1日697年8月22日譲位による皇位継承42 文武天皇 阿閇皇女一世内親王 慶雲4年7月17日707年8月18日慶雲4年6月15日707年7月18日)に文武天皇崩御皇子首皇子幼かったため、天皇の母が即位した43 元明天皇 氷高皇女 皇女 二世内親王 霊亀元年9月2日715年10月3日天皇高齢により譲位皇太子首皇子幼かったため、皇子伯母即位した44 元正天皇 皇太子首皇子一世親王 神亀元年2月4日724年3月3日譲位による皇位継承45 聖武天皇 皇太子阿倍内親王 第二皇女 一世内親王 天平勝宝元年7月2日749年8月19日譲位による皇位継承46 孝謙天皇 皇太子大炊王 6親等 二世天平宝字2年8月1日758年9月7日譲位による皇位継承大納言藤原仲麻呂推挙受けて大炊王即位した47 淳仁天皇 孝謙上皇 6親等 上皇 天平宝字8年10月9日764年11月6日天皇藤原仲麻呂の乱連座して廃位孝謙上皇重祚する。新帝意向により即位事実無効にされて「淡路廃帝」と呼ばれていたが、明治3年1870年)に明治天皇より諡号贈られた。 48 称徳天皇 皇太子白壁王 義兄 二世宝亀元年10月1日770年10月23日神護景雲4年8月4日770年8月28日)に称徳天皇崩御群臣協議および遺宣によって白壁王立太子次いで即位する49 光仁天皇 皇太子山部親王 第一皇子 一世親王 天応元年4月3日781年4月30日天皇が病により譲位。これを受けて即位50 桓武天皇 皇太子安殿親王 第一皇子 一世親王 延暦25年3月17日806年4月9日天皇による皇位継承従来先帝崩御に伴う皇位継承諒闇明け行っていたが、これ以降践祚即位区別し先帝退いた時には直ち皇嗣践祚し、皇位空白生じないようになった51 平城天皇 皇太子神野親王一世親王 大同4年4月1日809年5月18日天皇発病により譲位52 嵯峨天皇 皇太子大伴親王一世親王 弘仁14年4月16日823年5月29日譲位による皇位継承53 淳和天皇 皇太子正良親王一世親王 天長10年2月28日833年3月22日譲位による皇位継承54 仁明天皇 皇太子道康親王 第一皇子 一世親王 嘉祥3年3月19日850年5月4日譲位による皇位継承55 文徳天皇 皇太子惟仁親王 第四皇子 一世親王 天安2年8月27日858年10月7日天安2年8月27日858年10月7日)に文徳天皇崩御皇太子幼少であったため天皇惟喬親王即位望んでいたが、外祖父太政大臣藤原良房の強い勧め皇太子即位する。良房が摂政となり、のちの摂関政治端緒となった56 清和天皇 皇太子貞明親王 第一皇子 一世親王 貞観18年11月29日876年12月18日譲位による皇位継承57 陽成天皇 時康親王 大叔父 一世親王 元慶8年3月5日884年2月5日譲位実際に宮中おこった殺人事件嫌疑かけられての廃位ともされる)による皇位継承58 光孝天皇 皇太子定省親王 第十皇子 一世親王 仁和3年8月26日887年9月17日天皇崩御による皇位継承陽成天皇近親者皇位に就くことを防ぐため、臣籍降下していた源定省皇籍復帰して立太子即位した59 宇多天皇 皇太子敦仁親王 第一皇子 一世親王 寛平9年7月3日897年8月4日譲位による皇位継承60 醍醐天皇 皇太子寛明親王 第十皇子 一世親王 延長8年9月22日930年10月16日天皇重篤につき譲位61 朱雀天皇 皇太子成明親王一世親王 天慶9年4月20日946年5月23日譲位による皇位継承62 村上天皇 皇太子憲平親王 第二皇子 一世親王 康保4年5月25日967年7月5日崩御による皇位継承63 冷泉天皇 皇太子守平親王一世親王 安和2年8月13日969年9月27日天皇気の病によって譲位。あとを弟の守平親王受けて即位する東宮には師貞親王冷泉天皇第一皇子)が立ち、以降半世紀両者皇統の間で両統迭立の状態となる。 64 円融天皇 皇太子師貞親王一世親王 永観2年8月27日984年9月24日譲位による皇位継承東宮には懐仁親王円融天皇第一皇子)が立つ。 65 花山天皇 皇太子懐仁親王 従弟 一世親王 寛和2年6月23日986年8月1日譲位による皇位継承寛和の変)。東宮には居貞親王冷泉天皇第二皇子)が立つ。 66 一条天皇 皇太子居貞親王 従兄 一世親王 寛弘8年6月13日1011年7月16日天皇重篤により譲位9日後に崩御)。東宮には敦成親王一条天皇第二皇子)が立つ。 67 三条天皇 皇太子敦成親王 5親等 一世親王 長和5年1月29日1016年3月10日天皇眼病により譲位東宮には敦明親王三条天皇第一皇子)が立つが、藤原道長圧力により辞退両統迭立終了する68 後一条天皇 皇太子敦良親王一世親王 長元9年4月17日1036年5月15日崩御による皇位継承急死であったため譲位儀式が間に合わず発喪前に遺詔により譲位の儀を行った69 後朱雀天皇 皇太子親仁親王 第一皇子 一世親王 寛徳2年1月16日1045年2月5日天皇が病(肩の悪性腫瘍)により譲位2日後崩御)。 70 後冷泉天皇 皇太子尊仁親王一世親王 治暦4年4月19日1068年5月22日崩御による皇位継承71 後三条天皇 皇太子貞仁親王 第一皇子 一世親王 延久4年12月8日1073年1月18日譲位による皇位継承72 白河天皇 皇太子善仁親王 第三皇子 一世親王 応徳3年11月26日1087年1月3日天皇善仁親王立太子させ、即日譲位する白河上皇幼少堀河天皇にかわり政治取り仕切り院政治天の君)の嚆矢とされる73 堀河天皇 皇太子宗仁親王 第一皇子 一世親王 嘉承2年7月19日1107年8月9日崩御による皇位継承74 鳥羽天皇 皇太子顕仁親王 第一皇子 一世親王 保安4年正月28日1123年2月25日譲位による皇位継承75 崇徳天皇 皇太子体仁親王一世親王 永治元年12月7日1142年1月5日鳥羽上皇治天の君)の圧力により、皇太子上皇寵妃藤原得子所生)に譲位76 近衛天皇 雅仁親王一世親王 久寿2年7月23日1155年8月22日久寿2年7月22日1155年8月21日)に近衛天皇崩御議定により雅仁親王践祚する。 77 後白河天皇 皇太子守仁親王 第一皇子 一世親王 保元3年8月11日1158年9月5日譲位による皇位継承78 二条天皇 皇太子順仁親王 第二皇子 一世親王 永万元年6月25日1165年8月3日天皇発病により譲位翌月崩御)。 79 六条天皇 皇太子憲仁親王 叔父 一世親王 仁安3年2月19日1168年4月9日二条天皇崩御後、後白河上皇平清盛らによる巻き返しにより憲仁親王立太子皇位継承された。 80 高倉天皇 皇太子言仁親王 第一皇子 一世親王 治承4年2月21日1180年3月18日治承三年の政変による後白河法皇失脚後高倉天皇自身院政を行うべく皇太子譲位する81 安徳天皇 尊成親王一世親王 寿永2年8月20日1183年9月8日治承・寿永の乱において、安徳天皇平家奉じられて西国落ちのび、替わって入京した源義仲主導尊成親王新帝立てられた。この時、皇位付随する三種の神器安徳天皇とともにあったため、代替措置として復権した後白河法皇による院宣により皇位継承した安徳天皇寿永4年3月24日1185年4月25日)に壇ノ浦の戦い敗死するまで皇位とどまっていたため、史上初めて二帝が並び立つ事態となった82 後鳥羽天皇 為仁親王 第一皇子 一世親王 建久9年1月11日1198年2月18日譲位による皇位継承83 土御門天皇 皇太子守成親王一世親王 承元4年11月25日1210年12月12日天皇温和な性格嫌った後鳥羽上皇治天の君)の圧力により譲位84 順徳天皇 皇太子懐成親王 第四皇子 一世親王 承久3年4月20日1221年5月13日後鳥羽上皇による鎌倉幕府打倒備え皇太子譲位85 仲恭天皇 茂仁王 5親等 二世王 承3年7月9日1221年7月29日承久の乱朝廷敗北北条泰時により天皇廃され土御門上皇の非直系から茂仁王が擁立される。仲恭天皇即位式大嘗祭経ないまま廃位されたため、明治3年1870年)に諡号贈られるまで「九条廃帝」と呼称されていた。 86 後堀河天皇 皇太子秀仁親王 第一皇子 一世親王 貞永元年10月4日1232年11月17日譲位による皇位継承87 四条天皇 邦仁王 又従兄 一世王 仁3年正月20日1242年2月21日仁治3年正月9日1242年2月10日)に天皇急死後継巡って公家間の対立幕府反対があったため、11日間の空位生じる。 88 後嵯峨天皇 久仁親王 第二皇子 一世親王 寛元4年1月29日1246年2月16日譲位による皇位継承89 後深草天皇 皇太子恒仁親王一世親王 正元元年11月26日1260年1月9日後嵯峨上皇治天の君)の意向により譲位以降先帝系統持明院統)と新帝系統大覚寺統)の間で両統迭立に入る。 90 亀山天皇 皇太子世仁親王 第二皇子 一世親王 文永11年1月26日1274年3月6日譲位による皇位継承後深草上皇働きかけにより、熈仁親王後深草上皇第二皇子)が立太子する。 91 後宇多天皇 皇太子熈仁親王 従兄 一世親王 弘安10年10月21日1287年11月27日譲位による皇位継承皇統持明院統へ移る。 92 伏見天皇 皇太子胤仁親王 第一皇子 一世親王 永仁6年7月22日1298年8月30日譲位による皇位継承東宮には大覚寺統邦治親王後宇多上皇第一皇子)が立つ。 93 後伏見天皇 皇太子邦治親王 又従兄 一世親王 正安3年正月21日1301年3月2日譲位による皇位継承皇統大覚寺統へ移る。東宮には持明院統富仁親王後伏見上皇の弟)が立つ。 94 後二条天皇 皇太子富仁親王 又従弟 一世親王 延慶元年8月26日1308年9月11日天皇崩御による皇位継承皇統持明院統へ移る。東宮には大覚寺統尊治親王後二条天皇の弟)が立つ。 95 花園天皇 皇太子尊治親王 又従兄 一世親王 文保2年2月26日1318年3月29日譲位による皇位継承皇統大覚寺統へ移る。 96 後醍醐天皇 皇太子量仁親王 7親等 一世親王 元弘元年9月20日1331年10月22日後醍醐天皇による討幕挙兵鎮圧され幕府によって廃立される(元弘の変)。あとを皇太子継承し皇統持明院統へ移る。 (北1) 光厳天皇 後醍醐天皇 7親等 一世親王 元弘3年5月25日1333年7月7日鎌倉幕府の滅亡により後醍醐天皇配流先の隠岐から帰還建武の親政始めにあたり自身廃位光厳天皇即位無効化光厳天皇は「特別に上皇待遇とされた。 - 後醍醐天皇 皇太子恒良親王 第三皇子 一世親王 建武3年1336年)? 足利尊氏反乱延元の乱)により比叡山へ避難していた後醍醐天皇皇太子三種の神器譲渡し北陸落ちびさせる恒良親王天皇としてふるまうが、のちに後醍醐天皇新たに南朝を開くと恒良親王即位意義なくなり歴代天皇とはみなされていない恒良親王保持していた三種の神器行方不明)。 (北1) 光厳天皇 豊仁親王一世親王 延元元年8月15日1336年9月20日) 京を出奔した後醍醐天皇代わり光厳上皇院宣により豊仁親王即位96 後醍醐天皇 光明天皇 7親等 一世親王 延元元年11月2日1336年12月5日後醍醐天皇足利尊氏和睦し京へ帰還三種の神器光明天皇引き渡す。しかしのちに京都脱出して吉野へのがれ、「光明天皇譲った三種の神器偽物であり本物神器は自らが吉野持ってきた物である」と主張し自身主宰する朝廷を開く(南北朝時代の開始)。 96 後醍醐天皇 憲良親王 第七皇子 一世親王 延元4年8月15日1339年9月18日南朝天皇危篤につき譲位翌日崩御)。 (北2) 光明天皇 皇太子興仁親王一世親王 貞和4年10月27日1348年11月18日北朝譲位による皇位継承。 (北3) 崇光天皇 後村上天皇 9親等 一世親王 正平6年11月7日1351年11月26日観応の擾乱により、北朝方の足利尊氏南朝降伏北朝方は皇位元号ともに廃止され短期間南北朝統一達成される正平一統)。 (北3) 崇光天皇 弥仁一世 観応3年8月17日1352年9月25日南朝方が北朝の上皇・皇太子全員吉野地方拉致したため正平一統破綻する北朝南朝追跡逃れた弥仁践祚される。この時、三種の神器奪われ院宣出しうる上皇不在であったため、広義門院新帝祖母)が緊急措置として治天の君となった97 後村上天皇 皇太子寛成親王 第一皇子 一世親王 正平23年3月11日1368年3月29日南朝史料散逸によりこの時期南朝史については不明点多く天皇崩御日付は明らかであるが皇太子践祚日は不明で、生前譲位可能性もある(立太子有無についても諸説ある)。新帝即位辞退についても長年疑義があり、大正14年1925年)に政府見解即位認定された。 (北4) 後光厳天皇 皇太子緒仁親王 第一皇子 一世親王 応安4年3月23日1371年4月9日北朝譲位による皇位継承。 (北5) 後円融天皇 幹仁親王 第一皇子 一世親王 弘和2年4月11日1382年5月24日北朝譲位による皇位継承98 長慶天皇 皇太子熙成親王一世親王 弘和3年冬(1383年南朝譲位による皇位継承正確な日時不明99 後亀山天皇 後小松天皇 12親等 一世親王 明徳3年10月5日1392年11月19日南朝内部後亀山天皇即位機に和平派大勢占め足利義満仲介によって南北朝合一実現明徳の和約)。両者の間で「譲国の儀」を行い後亀山天皇後小松天皇譲位する100 後小松天皇 実仁親王 第一皇子 一世親王 応永19年8月29日1412年10月5日譲位による皇位継承明徳の和約による「両統迭立復活」が反故にされたことにより反発した南朝勢力一部離反し後南朝として武装反抗行ってゆく(後南朝勢力盛り返す至らず、自然消滅する)。 101 称光天皇 彦仁王 8親等 三世王 正長元7月28日1428年9月7日正長元年7月20日1428年8月30日)に称光天皇後継定めないまま崩御伏見宮家彦仁王が後小松上皇猶子となり、践祚した。 102 後花園天皇 成仁親王 第一皇子 一世親王 寛正5年7月19日1464年8月21日譲位による皇位継承103 後土御門天皇 勝仁親王 第一皇子 一世親王 明応9年10月25日1500年11月16日明応9年9月28日1500年10月21日)に天皇崩御104 後柏原天皇 知仁親王 第二皇子 一世親王 大永6年4月29日1526年6月9日崩御による皇位継承105 後奈良天皇 方仁親王 第一皇子 一世親王 弘治3年10月27日1557年11月17日崩御による皇位継承106 正親町天皇 和仁親王二世親王 天正14年11月7日1586年12月17日譲位による皇位継承107 後陽成天皇 政仁親王 第三皇子 一世親王 慶長16年3月27日1611年5月9日譲位による皇位継承108 後水尾天皇 興子内親王 第二皇女 一世内親王 寛永6年11月8日1629年12月22日徳川幕府朝廷への干渉反発した天皇興子内親王譲位109 明正天皇 紹仁親王一世親王 寛永20年10月3日1643年11月14日譲位による皇位継承。 110 後光明天皇 良仁親王一世親王 承応3年11月28日1655年1月5日承応3年9月20日1654年10月30日)に天皇崩御皇位継承予定者の識仁親王幼少であったため、繋ぎとして良仁親王即位した111 後西天皇 識仁親王一世親王 寛文3年1月26日1663年3月5日譲位による皇位継承112 霊元天皇 皇太子朝仁親王 第五皇子 一世親王 貞享4年3月25日1687年5月6日譲位による皇位継承113 東山天皇 皇太子慶仁親王 第五皇子 一世親王 宝永6年6月21日1709年7月27日譲位による皇位継承114 中御門天皇 皇太子昭仁親王 第一皇子 一世親王 享保20年3月21日1735年4月13日譲位による皇位継承115 桜町天皇 皇太子遐仁親王 第一皇子 一世親王 延享4年5月2日1747年6月9日譲位による皇位継承116 桃園天皇 智子内親王一世内親王 宝暦12年7月27日1762年9月15日宝暦12年7月12日1762年8月31日)に天皇崩御皇位継承予定者の英仁親王幼少のため、智子内親王が代わって即位117 後桜町天皇 皇太子英仁親王一世親王 明和7年4月28日1770年5月23日譲位による皇位継承118 後桃園天皇 兼仁王 7親等 三世王 安8年11月25日1780年1月1日安永8年11月9日1779年12月16日)に天皇崩御継嗣がいなかったため、閑院宮家より兼仁王が後を継いだ119 光格天皇 恵仁親王 第四皇子 一世親王 文化14年9月21日1817年10月31日譲位による皇位継承120 仁孝天皇 皇太子統仁親王 第四皇子 一世親王 弘化3年2月13日1846年3月10日崩御による皇位継承121 孝明天皇 睦仁親王 第二皇子 一世親王 慶応3年正月9日1867年2月13日崩御による皇位継承122 明治天皇 皇太子嘉仁親王 第三皇子 一世親王 明治45年/大正元年1912年7月30日 崩御による皇位継承。(旧皇室典範第10条及び大日本帝国憲法第2条に基づく。) 123 大正天皇 摂政宮皇太子裕仁親王 第一皇子 一世親王 大正15年/昭和元年1926年12月25日 崩御による皇位継承。(旧皇室典範第10条及び大日本帝国憲法第2条に基づく。) 124 昭和天皇 皇太子明仁親王 第一皇子 一世親王 昭和64年1989年1月7日 崩御による皇位継承。(皇室典範第4条及び日本国憲法第2条に基づく。) 125 上皇明仁 皇太子徳仁親王今上天皇第一皇子 一世親王 令和元年2019年5月1日 平成31年2019年4月30日第125代天皇務めを果たすことが高齢につき困難になったこと(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の表明)を理由退位。これを受けて第126代天皇即位譲位による皇位継承。(天皇の退位等に関する皇室典範特例法及び日本国憲法第2条に基づく。)詳細は「明仁から徳仁への皇位継承」を参照

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