淳仁天皇
母は当麻氏。
藤原仲麻呂の長男真従(まより)の未亡人粟田諸姉を妻とする。
子には斎宮となった山於女王(?)などが伝わるが確かなことはわかっていない。
天皇を廃された後は廃帝・淡路公などと称された。
なお、淳仁天皇の諡号が追贈されたのは明治になってからのこと。
大炊王は妻の粟田諸姉と共に仲麻呂邸に居住していたが、757年4月孝謙天皇の推挙により皇太子に就く。
758年8月に即位して淳仁天皇となった。
藤原仲麻呂の強い後ろ盾によって天皇となった大炊王であったので実権は藤原仲麻呂にあった。
761年保良宮滞在中に道鏡が孝謙上皇に接近したことが契機となってか、翌年には上皇との不和が決定的となり政務は上皇と天皇の間で二分されるに至った。
764年太政大臣藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の直後に孝謙上皇に対する謀反を言い立てられて天皇を廃され淡路に幽閉された。
765年逃亡を計って捕えられその翌日に変死した。
第47代天皇 | |
天皇名 | 淳仁天皇 |
読み方 | じゅんにんてんのう |
名・諱等 | 大炊王 |
読み方 | おおい |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 758年から764年 |
生年 | 733 |
没年 | 765 |
父 | 舎人親王 |
母 | 大夫人当麻山背 |
兄弟 | □□□ |
配偶者 | 粟田諸姉 |
皇子女 | □□□ |
即位宮 | 平城京 |
天皇陵 | 淡路陵 |
所在地 | 兵庫県三原郡南淡町賀集字岡ノ前 |
淳仁天皇
(大炊王 から転送)
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淳仁天皇(じゅんにんてんのう、733年〈天平5年〉- 765年11月10日〈天平神護元年10月23日〉)は、日本の第47代天皇(在位:758年9月7日〈天平宝字2年8月1日〉- 764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉)。
- ^ 告井幸男「名代について」『史窓』第071巻、京都女子大学史学会、2014年、1-21頁、hdl:11173/1496、ISSN 0386-8931、NAID 120005407781。
- ^ 中野渡俊治「奈良時代の天智天皇観」(初出:『教育・研究』11号(1997年)/所収:中野渡『古代太上天皇論』(思文閣出版、2017年)ISBN 978-4-7842-1887-5)
- ^ 佐藤長門「古代天皇制の構造とその展開」(初出:『歴史学研究』755号、2001年/所収:佐藤『日本古代王権の構造と展開』吉川弘文館、2009年 ISBN 978-4-642-02471-6)
- ^ 木本好信「私の仲麻呂像 -反逆者像の払拭と政治観-」『奈良平安時代史の諸問題』和泉書房、2021年 ISBN 978-4-7576-0976-1 52 - 56・61頁
- ^ 河内祥輔『古代政治史における天皇制の論理 増訂版』(吉川弘文館、2014年、P130-133.)初版は1986年。
- ^ 「即位改元について」p.216(論文執筆者:土橋誠(京都府立総合資料館歴史資料課)、刊行物名:『京都府埋蔵文化財論集 第6集 -創立三十周年記念誌-』、刊行年:2010年、刊行者:公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター)
- ^ 山田邦和「平安時代前期の陵墓選地」 所収:角田文衞監修・古代學協會編『仁明朝史の研究』(思文閣出版、2011年)
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