実仁親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 04:28 UTC 版)
- (さねひとしんのう)平安時代の皇族。後三条天皇の次男で白河天皇の皇太弟。実仁親王 (平安時代)を参照。
- (さねひとしんのう)室町時代の皇族。後亀山天皇の子で大覚寺統の皇位継承権者。後南朝及び小倉宮家の祖とされる恒敦親王(あるいは恒敦王)の異名の1つ。小倉宮恒敦の項目を参照のこと。
- (みひとしんのう)室町時代に在位した第101代天皇・称光天皇の諱。初名は躬仁(読み方は同じ)。称光天皇の項目を参照のこと。
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実仁親王(さねひと しんのう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 00:20 UTC 版)
「皇国の守護者」の記事における「実仁親王(さねひと しんのう)」の解説
原作1巻では皇主の次男、後の巻では弟とされている。北領では准将で近衛衆兵第五旅団を率いる。北領撤退後、中将に昇進。その後前線勤務を希望するが却下される(その理由は皇族が戦闘に参加するだけでも勲章もので、これ以上彼に力を付けさせないため)。保胤の特志幼年学校での同期生で、皇族らしからぬ軍人向きの人物。北領撤退戦において新城から受けた恩義を忘れず、その後の新城の強力な後ろ盾となって〈近衛衆兵聯隊〉設立を助ける。しかし、その心は皇主の存続を第一に置いているため、新城の行動を快く思わない事もある。皇都内乱を皇家の復権の機会と考え、新城をそのための道具と考えていたが、新城の奇策、「龍兵挺身降下作戦」による皇宮突入でその目論見は頓挫。皇都内乱終結後、曲りなりでも衆民出身の新城が内乱を終結させたことで将家が支配する時代の終わりと、新たな時代の始まりを予感する。清香の発言から性行為などは、ほとんどしない模様(男色家ではない)。
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