実事求是について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 22:53 UTC 版)
宋明学にあたっては、相対的に経書の解釈は第二義的なものとされて、主観的な解釈が主流を成していたといえる状態であった。しかし、清代における言語観の転換とともに経書解釈の客観化が追及され、その理念とされたものが『漢書』の河間献王劉徳の治学態度である「実事求是」であった。考証学は、実事求是を標榜し、経書の言説に即して儒学の義理を客観的に解釈する方法を追求するものと、自らの立ち位置を公然とした。 張岱年(中国語版)はこの実事求是に対して「この語は科学方法の最も基本原則を掲げているといえる。劉徳のいわゆる『実事』には特殊な内容があり、『是』にも特殊な意義があるが、『実事求是』は一つの規律として一般性を持つ。したがって今日この語を唯物論の基本態度を表示するのに利用できるのである」とその概念の差異に関しては留保しているものの、実証性自体を評価している。 戴震は実事求是を基本理念としている理由を「実事が前にあれば、人は私が言う是を強弁として非とはできず、私が言う非を強弁として是とはできない。」「虚理が前にあれば、人は私が言う是を別の学説を主張して非とできるうえに、私が言う非をまた別の学説でもって是ともできる。」と端的に述べている。
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