実仁親王 (平安時代)
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| 実仁親王 | |
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       皇太弟
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| 在位 | 延久4年12月8日(1073年1月18日) -応徳2年11月8日(1085年11月27日) | 
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| 時代 | 平安時代中期 | 
| 生誕 | 延久3年2月10日(1071年3月14日) | 
| 薨御 | 応徳2年11月8日(1085年11月27日) | 
| 父母 | 父:後三条天皇、母:源基子 | 
| 兄弟 | 聡子内親王、白河天皇、俊子内親王、佳子内親王、篤子内親王、輔仁親王 | 
実仁親王(さねひとしんのう、延久3年2月10日(1071年3月14日) - 応徳2年11月8日(1085年11月27日))は、平安時代の皇族。後三条天皇の第二皇子。母は源基平の娘である女御・源基子。異母兄・白河天皇の皇太弟となる。同母弟に輔仁親王がいる。
生涯
『栄花物語』(巻38「松のしづえ」)によれば、母の源基子が後三条天皇の皇女聡子内親王の元に出仕中に父天皇と関係を持って親王を身ごもり、藤原経平の屋敷にて親王を生んだとされている[1]。
父・後三条天皇は、傍流とはいえ藤原北家の血を引く長男の貞仁親王(白河天皇)よりも、同家と外戚関係を有しない三条源氏源基子との子供に皇位継承候補者として期待をかけた。また、親王の誕生時点で15歳であった貞仁親王に男子が誕生しておらず、親王に男子が誕生しなかった際の保険としての認識もあったと推測され、白河天皇即位後は一環として天皇側近として活動する藤原経平の屋敷で誕生しているのは貞仁親王(白河天皇)側の事情もあったと考えられている[2]。
そこで延久4年(1072年)の白河天皇即位の際、実仁親王はわずか2歳で皇太弟として立てられ、更に翌年の輔仁親王誕生直後に上皇となっていた後三条が重態に陥ると、実仁親王が即位した後には輔仁親王を皇太弟とするよう遺言した。承保2年(1075年)に着袴、承暦2年(1078年)に読書始の儀式、永保2年(1081年)に元服の儀式が行われている。誕生前に外祖父・源基平は既に死去しており、後見がいなかったものの、祖母である陽明門院の寵愛を得ていたことから、世間からも「いと清らかなる男」称されて、将来を期待されていた。
しかし応徳2年、実仁親王は疱瘡により倒れ、15歳で急死した。白河天皇は翌年には父の遺言を無視して実子・善仁親王(堀河天皇)を皇太子に立て、その日のうちに譲位を宣言して院政を開始する事になった。
系図
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| 71 後三条天皇 |  | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 72 白河天皇 |  | 実仁親王 |  |  |  |  |  |  |  |  |  | 輔仁親王 |  | 篤子内親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 73 堀河天皇 |  | 覚行法親王 |  | 覚法法親王 |  | 媞子内親王 (郁芳門院) |  | 源有仁 (有仁王) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 74 鳥羽天皇 |  | 最雲法親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 75 崇徳天皇 |  | 77 後白河天皇 |  | 76 近衛天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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脚注
- 実仁親王_(平安時代)のページへのリンク

 
                             
                    




