政仁親王とは? わかりやすく解説

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後水尾天皇

(政仁親王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 13:23 UTC 版)

後水尾天皇(ごみずのおてんのう、ごみのおてんのう、1596年6月29日文禄5年6月4日〉 - 1680年9月11日延宝8年8月19日〉)は、日本の第108代天皇(在位: 1611年5月9日慶長16年3月27日〉 - 1629年12月22日寛永6年11月8日〉)。政仁(ことひと)。幼名は三宮


注釈

  1. ^ 野村玄は徳川家の当主が秀忠(大御所)から家光(将軍)に代わったことで協調政策に転じるとともに、明正天皇(幼少の女帝)の登場による朝廷内の混乱の責任を後水尾上皇(問題を起こした当事者)に負わせようとしたことを指摘している[7]
  2. ^ 後西天皇は兄(後光明)の急逝で宮家の当主から即位し、すでに実子がいるにもかかわらず弟(霊元)が元服したら譲位することが初めから決められていた。
  3. ^ 昭和天皇は1989年1月7日に満87歳8か月で崩御。
  4. ^ 第125代天皇明仁平成31年(2019年4月30日に満85歳4か月で、皇室典範特例法に基づき退位し、翌年(令和元年)5月1日より上皇となる。さらに、令和3年(2021年9月2日には昭和天皇にならび、歴代最長寿の天皇となった。
  5. ^ 本朝皇胤紹運録』などには名を昭子内親王と記しているが、女二宮に内親王宣下がなされたという記録はなく、女三宮との混乱であると考えられている[13]

出典

  1. ^ 山口和夫「生前譲位と近世院参衆の形成」『近世日本政治史と朝廷』吉川弘文館、2017年、154頁。ISBN 978-4-642-03480-7 
  2. ^ 熊倉 2010, p. 104.
  3. ^ 井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012年、169頁。ISBN 978-4751744307 
  4. ^ 熊倉 2010, p. 107.
  5. ^ 九条道房の日記 『道房公記』 寛永14年12月3日条
  6. ^ 久保 1998, pp. 46–49.
  7. ^ 野村 2006, pp. 296–298.
  8. ^ 久保 1998, p. 54.
  9. ^ 菊地浩之 (2019年3月21日). “天皇のお名前の秘密 裕仁、明仁、徳仁…なぜ「○仁」が多い?”. ビジネスジャーナル. サイゾー. 2019年6月2日閲覧。
  10. ^ 熊倉 2010, p. 32.
  11. ^ 熊倉 2010, p. 6.
  12. ^ 日本放送協会. “上皇さま 歴代天皇の中で最高齢に”. NHKニュース. 2021年9月2日閲覧。
  13. ^ 久保 2008b, p. 102.


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