大橋宗金_(12代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大橋宗金_(12代)の意味・解説 

大橋宗金 (12代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/10 15:37 UTC 版)

十二代大橋宗金(じゅうにだい おおはし そうきん、1839年天保10年) - 1910年明治43年)11月17日)は、明治時代の人物。日本将棋指し。将棋家元三家の一つである大橋本家当主。十一代大橋宗桂の子。

経歴

大橋家を継いでいた父の十一代宗桂の子として生まれる。明治元年(1868年)に家督を相続する。

明治時代になり、他の将棋三家とともに家元制度は家禄を失った。歴代の当主と比べて棋力が低く、明治26年(1893年)に十一世名人伊藤宗印が亡くなった時も、就位とはならなかった。

明治19年(1886年)に『将棋早稽古』を出版する。明治31年(1898年)、小野五平が家元を継ぐことなく十二世名人に就位している。同年,宗金のもとに後の十三世名人関根金次郎が入門し,さらに関根は入門希望者を取り次いで大橋家に入門させた。

明治38年(1905年)に家督を長男の大橋五郎に譲って隠居。五郎は棋士ではなく、関根が段位の審査を行い免状を発行するようになるなど、関根が実質的に家元である大橋家を掌握するようになった。

「御水尾天皇御筆跡の写」(宸筆錦旗)の駒作者でもある[1]

なお、木村義雄名人による他説では、「御水尾天皇御筆跡の写」ではなく「水無瀬兼成書の写」が正しく、「箔をつけたがる。よくある話」と述べている[1]

脚注

  1. ^ a b 『駒のささやき 将棋駒の魅力とその世界』駒研出版会編

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大橋宗金_(12代)」の関連用語

大橋宗金_(12代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大橋宗金_(12代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大橋宗金 (12代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS