常子内親王とは? わかりやすく解説

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常子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/04 04:50 UTC 版)

常子内親王
続柄 後水尾天皇第十五皇女

全名 常子(つねこ)
称号 品宮(級宮)
出生 寛永19年3月9日1642年4月8日
死去 元禄15年8月26日1702年9月17日)(享年61)
埋葬 大徳寺
配偶者 近衛基熙
子女 熙子家熙大炊御門信名
父親 後水尾天皇
母親 園国子
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常子内親王(つねこないしんのう)は、第108代後水尾天皇第十五皇女。母は園基音女の園国子(新広義門院)。霊元天皇の同母姉。近衛基熙正室で、近衛家熙および近衛熙子(天英院、徳川家宣正室)の母。また、桜町天皇の外曾祖母でもある。[1]なお、来孫後桃園天皇の女御の近衛維子玄孫に当たる。[2]品宮(級宮、しなのみや)といわれた。寛文6年(1666年)正月から元禄13年(1700年)3月24日にかけて日記(「无上法院殿御日記」)を残している。

生涯

父後水尾院に寵愛され、正式な内親王宣下はなかったが、延宝5年(1677年)諱が常子と定められて以降、常子内親王といわれるようになった。寛文4年(1664年)11月12日に6歳年下の近衛基熙と結婚した。結婚後も宮廷に頻繁に出入りし、夫基熙とともに兄弟姉妹や東福門院との交流も密であったが、基熙が霊元天皇とはしっくりいかなかったためか、霊元天皇に対しては批判的な面もあった。寛文6年(1666年)3月26日に長女熙子(天英院)を、翌寛文7年(1667年)6月4日に長男家熙を、寛文9年(1669年)4月27日には次男大炊御門信名を産んだ。夫基熙に先立ち元禄15年(1702年)、61歳で薨去。近衛家菩提寺の大徳寺に葬られた。

脚注

  1. ^ 常子内親王→近衛家煕→近衛尚子→桜町天皇
  2. ^ 常子内親王→近衛家煕→近衛家久近衛内前→近衛維子

参考文献

  • 瀬川淑子『皇女品宮の日常生活:『无上法院殿御日記』を読む』岩波書店。 





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