敦子内親王
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敦子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 不詳 |
薨去 | 延長8年1月13日(930年2月14日) |
位階 | 無品 |
父母 | 父:清和天皇、母:藤原高子 |
兄弟 | 陽成天皇、貞固親王、貞元親王、貞保親王、貞平親王、貞純親王、孟子内親王、包子内親王、敦子内親王、貞辰親王、識子内親王、貞数親王、貞真親王、貞頼親王、源長猷、源長淵、源長監、源長頼、源載子 |
斎院 | 貞観19年2月17日(877年3月11日)- 元慶4年12月(881年1月) |
敦子内親王(あつこ/とんしないしんのう)は、清和天皇の第3または第5皇女。母は女御・藤原高子(贈太政大臣藤原長良の娘)。陽成天皇、貞保親王の同母姉妹。賀茂斎院。
『日本紀略』に記された薨伝では第5皇女と記載されているが、これは生母との関係によって実際の出生順とみられる第3皇女から落とされた可能性がある。ただし、伝えられている清和天皇の皇女(臣籍降下者を除く)は4名であるため、何をもって第5皇女としたのかという別の問題が生じる[1]。
生涯
貞観15年(873年)4月21日、内親王宣下。貞観19年(877年)2月17日、兄・陽成天皇の即位に伴い、伊勢斎宮・識子内親王と同時に斎院に卜定される。元慶4年(880年)4月11日に紫野院に入る。同年12月(881年1月)、父・清和上皇の崩御により退下。延長8年(930年)1月13日、無品のまま死去した。
脚注
- ^ 安田政彦「平城から清和皇子女までの出生順」『平安時代の親王と政治秩序-処遇と婚姻-』吉川弘文館(2024年)、P128.(原論文は2001年)
参考文献
- 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年
固有名詞の分類
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