韶子内親王
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韶子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 延喜18年(918年) |
薨去 | 天元3年1月18日(980年2月7日) |
位階 | 三品 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源和子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
夫 | 源清蔭、橘惟風 |
斎院 | 延喜21年2月25日(921年4月11日) - 延長8年9月22日(930年10月16日)頃 |
韶子内親王(しょうし/あきこないしんのう)は、醍醐天皇の第13皇女。賀茂斎院。母は承香殿女御源和子(光孝天皇皇女)。朱雀天皇・村上天皇らの異母姉で、同母兄弟に常明親王・式明親王・有明親王・慶子内親王・斉子内親王がいた。
経歴
延喜20年12月17日(921年2月2日)、異母妹の康子内親王とともに内親王宣下を受ける。翌21年(同じく921年)2月25日、父醍醐天皇の斎院に卜定。延長2年(924年)3月25日、裳着を行い三品に叙された。同8年(930年)9月29日に父天皇が崩御したことにより斎院を退下。のち大納言源清蔭(陽成天皇皇子)と結婚し、さらに河内守橘惟風(橘広相の孫・公廉の子)と再婚した。ただし、清蔭や惟風との年齢差が大きすぎる[注釈 1]ことや臣籍降下したとは言え宇多・醍醐両天皇とは微妙な関係にあった陽成天皇の第一子である源清蔭の婚姻には政略性があったと考えられることから、宇多天皇の内親王の婚姻が後世に韶子の婚姻と誤伝されて後世の系譜に記されたのではないかとする安田政彦の説がある[1]。
天元3年(980年)1月18日、63歳で没した。
脚注
注釈
- ^ 清蔭は韶子よりも34歳も年上で醍醐天皇が崩御した時点で47歳になっている。惟風の生年は不明であるが、韶子が6歳である延喜23年には既に従五位下備後守に任じられており、安田政彦はこの時点で既に30歳前後になっていたと推測する。
出典
- ^ 安田政彦「醍醐内親王の降嫁と醍醐源氏賜姓」『平安時代の親王と政治秩序-処遇と婚姻-』吉川弘文館(2024年)、P91-104.(原論文『続日本紀研究』第374号、2008年6月)
参考文献
- 韶子内親王のページへのリンク