泊瀬部皇女とは? わかりやすく解説

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泊瀬部皇女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 02:30 UTC 版)

泊瀬部皇女
時代 飛鳥時代 - 奈良時代
生誕 不詳[1]
薨去 天平13年3月28日741年4月18日
位階 三品
父母 父:天武天皇、母:宍人大麻呂娘のカジ媛娘
兄弟 忍壁皇子磯城皇子泊瀬部皇女託基皇女
川島皇子
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泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)は、天武天皇皇女で、母は宍人大麻呂の娘のカジ媛娘(「カジ」は木偏に穀)。同母弟妹に忍壁皇子磯城皇子託基皇女がいる。夫は川島皇子

生涯

大宝律令施行後は泊瀬部・長谷部内親王[2]とも記述される。持統天皇5年(691年)、川島皇子が薨去した時、万葉集巻2 194 - 195に柿本人麻呂が献じた歌がある。夫の死後再婚せず、天平9年(737年)2月14日三品に昇進、4年後の天平13年(741年)3月28日に薨去

血縁

脚注

  1. ^ 父の天武天皇の崩御した朱鳥元年(686年)以前の誕生になると思われる
  2. ^ 続日本紀霊亀元年(715年)正月甲午条など

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