託基皇女とは? わかりやすく解説

託基皇女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/28 04:05 UTC 版)

託基皇女(たきのひめみこ)は、天武天皇皇女で、母は宍人大麻呂の娘のカジ媛娘(「カジ」は木偏に穀)。多紀当耆皇女とも書き、大宝律令施行後、「皇女」は「内親王」と記述される。伊勢斎王(斎宮)志貴皇子の妻となり春日王を生む。


  1. ^ 父の天武天皇の崩御した朱鳥元年(686年)以前の誕生になると思われる
  2. ^ 同母子に限れば、慶雲2年(705年)4月11日に忍壁皇子が没しており、磯城皇子は大宝元年(701年)の大宝律令施行直前に30歳前後で没したと推定され、泊瀬部皇女も天平13年(741年)3月28日に没している


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