久子内親王
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久子内親王(きゅうしないしんのう、生年不詳 - 貞観18年6月18日(876年7月12日))は、平安時代前期の皇族。仁明天皇の第7(または第8)皇女。母は宮人の従五位上・高宗女王(従四位上・岡屋王の娘、高市皇子の曾孫)。伊勢斎宮。
天長10年(833年)3月26日、父の仁明天皇の即位により斎宮に卜定される(賀茂斎院・高子内親王も同日卜定)。承和2年(835年)9月5日、伊勢に群行。嘉祥3年(850年)5月4日、仁明天皇の崩御により在任17年で退下。清和天皇の治世末期の貞観18年(876年)6月18日、無品のまま没した。
参考文献
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久子内親王
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「久子内親王 (後深草天皇皇女)」の記事における「久子内親王」の解説
正平元年/貞和2年4月25日(1346年5月16日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後深草天皇の第四皇女。母は玄輝門院(洞院愔子)。伏見天皇・性仁法親王の同母妹。女院とされ永陽門院と号する。
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