婉子内親王とは? わかりやすく解説

婉子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 15:28 UTC 版)

婉子内親王
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 延喜4年(904年
薨去 安和2年9月11日969年10月24日
位階 三品
父母 父:醍醐天皇、母:藤原鮮子
兄弟 勧子内親王、宣子内親王恭子内親王克明親王保明親王慶子内親王代明親王勤子内親王婉子内親王、都子内親王、重明親王常明親王、修子内親王、敏子内親王式明親王雅子内親王有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明兼明親王源兼子靖子内親王、源厳子、源自明韶子内親王源允明康子内親王英子内親王斉子内親王朱雀天皇章明親王村上天皇源為明盛明親王
斎院 承平元年12月25日932年2月9日) - 康保4年5月25日967年7月5日)頃
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婉子内親王(えんしないしんのう)は、醍醐天皇第7皇女賀茂斎院。母は更衣藤原鮮子(藤原連永の娘)。朱雀天皇村上天皇らの異母姉で、同母姉兄に恭子内親王(賀茂斎院)、代明親王三品

延喜8年(908年内親王宣下を受ける。承平元年12月25日(932年2月9日)、28歳で斎院に卜定伊勢斎宮雅子内親王も同日卜定)。35年在位ののち康保4年(967年)5月、村上天皇が崩御したことにより退下した。婉子内親王が斎院となったのは父母ともに没した後であり、その在位は選子内親王に次いで2番目に長い。その後出家し安和2年(969年)9月11日に66歳で薨去した。





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