源兼子とは? わかりやすく解説

源兼子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 04:03 UTC 版)

源兼子(みなもと の けんし/かねこ、延喜15年(915年) - 天禄3年9月下旬(972年10月30日 - 11月8日))は、平安時代中期の賜姓皇族醍醐源氏醍醐天皇皇女で、母は更衣源周子源唱女)。同母兄弟に持明親王・盛明親王勤子内親王・都子内親王・雅子内親王源高明がいた。

延喜20年(920年)12月28日朝臣姓を賜って左京一条一坊の貫籍(戸籍)に入った。翌年の延喜21年に源高明を戸主とする旨の太政官民部省の通達を受けた。従四位上に叙せられ[1]天禄3年(972年)9月下旬に薨去した[2][3]。ちなみに兼子の薨去により、10月6日に予定されていた止雨奉幣使は延引されることになった[4]。11月10日、藤原伊尹と共に葬儀[4]

脚注

  1. ^ 『一代要記』
  2. ^ 『親信卿記』天禄3年11月10日
  3. ^ 『一代要記』では天暦3年(949年)
  4. ^ a b 『親信卿記』

参考文献





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