源兼子
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源兼子(みなもと の けんし/かねこ、延喜15年(915年) - 天禄3年9月下旬(972年10月30日 - 11月8日))は、平安時代中期の賜姓皇族。醍醐源氏。醍醐天皇の皇女で、母は更衣源周子(源唱女)。同母兄弟に持明親王・盛明親王・勤子内親王・都子内親王・雅子内親王・源高明がいた。
延喜20年(920年)12月28日源朝臣姓を賜って左京一条一坊の貫籍(戸籍)に入った。翌年の延喜21年に源高明を戸主とする旨の太政官符民部省の通達を受けた。従四位上に叙せられ[1]、天禄3年(972年)9月下旬に薨去した[2][3]。ちなみに兼子の薨去により、10月6日に予定されていた止雨奉幣使は延引されることになった[4]。11月10日、藤原伊尹と共に葬儀[4]。
脚注
参考文献
- 摂関期古記録データベース
- 『親信卿記』
- 『一代要記』, image 291, 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
- 角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。
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