婉貴妃 (乾隆帝)とは? わかりやすく解説

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婉貴妃 (乾隆帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 03:52 UTC 版)

婉貴妃(えんきひ、満洲語: ᠨᡝᠮᡤᡳᠶᡝᠨ
ᡤᡠᡳᡶᡝᡳ
、転写:nemgiyen guifei、康熙55年12月20日1717年2月1日) - 嘉慶12年2月2日1807年3月10日))は、乾隆帝の側室。漢人の出身。姓は陳氏。陳廷璋の娘。

生涯

婉貴妃陳氏

康熙55年12月20日(西暦1717年2月1日)に生まれた。はじめ、宝親王の弘暦(のちの乾隆帝)の府邸に入り、側女となった。

乾隆帝の即位後、常在(身分低い妃嬪)となった。乾隆12年(1747年)、貴人に進んだ。乾隆14年(1749年)、「婉嬪」に封ぜられた。45年後、乾隆帝は息子の永琰(嘉慶帝)に譲位し太上皇となったので、婉嬪も婉妃に尊封された。

嘉慶6年(1801年)、婉貴太妃に尊封された。年功序列のため太妃たちの筆頭となり、寿康宮の主位となった。数え92歳で薨去した。

伝記資料

  • 清史稿
  • 『晋封婉嬪陳氏婉妃冊文』
  • 『尊封婉妃陳氏皇考婉貴妃冊文』



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