泊瀬朝倉宮とは? わかりやすく解説

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泊瀬朝倉宮

読み方:ハツセノアサクラノミヤ(hatsusenoasakuranomiya)

古代宮城雄略天皇遷都


泊瀬朝倉宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/09/06 04:19 UTC 版)

泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)は、古墳時代天皇である第21代雄略天皇が営んだ宮殿長谷朝倉宮初瀬朝倉宮とも表記される。

概要

伝承地は奈良県桜井市黒崎もしくは同市岩坂。黒崎の白山神社境内には「雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地」の碑が建立されている。一方、1984年には、同市脇本にある脇本遺跡で、5世紀後半のものと推定される掘立柱穴が発見されており、考古学的見地から朝倉宮の有力な候補地とされている。この遺跡は、第1期は5世紀後半、第2期は6世紀前半、第3期は6世紀後半と7世紀後半の3期に分けられる。泊瀬朝倉宮は雄略天皇が在位した456年から479年までの皇居であると考えられているが、これ以降も引き続き皇居とされたとの説もある。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣銘には「獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時」と刻まれているが、「獲加多支鹵大王」は雄略天皇であり、「斯鬼宮」(しきのみや)は泊瀬朝倉宮を指すと考えられている。

関連項目


泊瀬朝倉宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/05 08:27 UTC 版)

初瀬」の記事における「泊瀬朝倉宮」の解説

21代雄略天皇が、当地に泊瀬朝倉宮を置いたとされるが、その所在地考古学的に確定していない。宮の場所について古くから2つの説があり、『帝王編年記』などは磐坂谷桜井市岩坂)、『大和志』などは天の桜井市黒崎)とするが、立地条件などから、どちらの場所も宮の所在地としては疑問視されている。黒崎白山神社境内にも「泊瀬朝倉宮伝承地」の碑がある。また、桜井市脇本脇本遺跡も泊瀬朝倉宮跡の有力な候補地とされ、1984年には5世紀後半のものと推定される掘立柱穴が発見されている。

※この「泊瀬朝倉宮」の解説は、「初瀬」の解説の一部です。
「泊瀬朝倉宮」を含む「初瀬」の記事については、「初瀬」の概要を参照ください。

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