園基音とは? わかりやすく解説

園基音

読み方:その 

江戸前期公卿。初名は基康。基任の子仕えて正二位権大納言に至る。持明院流書道名手明暦元年(1655)歿、52才。

園基音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 05:39 UTC 版)

 
園基音
時代 江戸時代前期
生誕 慶長9年8月23日1604年9月16日
死没 承応4年2月17日1655年3月24日
官位 正二位権大納言左大臣
主君 後陽成天皇後水尾天皇明正天皇後光明天皇
氏族 藤原北家中御門流園家
父母 父:園基任
兄弟 基音、東園基教、光子後水尾天皇典侍)、柳原茂光室、文英尼京極忠高後室)
正室:谷衛友の娘
基福、東園基賢、葉川基起、国子後水尾天皇典侍)、京極方(前田利常側室→冷泉為清室)、柳原資行室(柳原資廉母)
特記
事項
霊元天皇の外祖父
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園 基音(その もとなり)は、江戸時代前期の公卿園家13代当主。園基任の子。官位正二位権大納言(薨去後左大臣追贈)。霊元天皇の外祖父に当たる。また、霊元天皇の異母兄後光明天皇は甥にあたる(妹の子) 書道持明院流の名手でもあった。

略歴

慶長13年(1608年)に叙爵。慶長17年(1612年)に元服。同年侍従に就任。その後、左近衛少将蔵人頭を経て、寛永8年(1631年)には参議となり、公卿に列する。その後も踏歌節会外弁・権中納言を経て、慶安元年(1648年)に権大納言となる。慶安3年(1651年)まで同職を務めた。

堂上家であるが、京都近郊の丹波国山家藩谷氏(大名家)から正室を迎えた。

妹・光子に続き、基音の娘・国子も後水尾天皇の後宮に入っており、四皇子二皇女を儲けている。うち皇子1人が霊元天皇として即位する事になる。そのため即位後に孫の霊元天皇より左大臣が追贈されている。元々園家は権中納言極官だったが、基任・基音と二代にわたって天皇の外祖父を輩出した事により、園家の宮中での席次も上がり、基音の子・基福は異例の准大臣に叙せられた。またそれ以降の当主もほとんどが権大納言まで昇り、園家は事実上権大納言を極官とする家へ昇格する事になる。

系譜

出典

  • 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年、71頁。 
  • 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。 



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