谷衛友
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谷 衛友(たに もりとも)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。丹波国山家藩の初代藩主。
- ^ a b c d e f 天田郡教育会 1927, p. 123.
- ^ 人物不明。木下昌利?
- ^ 徳川秀忠に仕え2千石。
- ^ 内蔵允。肥後熊本藩細川家家臣。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 堀田 1923, p. 320.
- ^ a b 高柳 & 松平 1981, p. 150.
- ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所 編「国立国会図書館デジタルコレクション 豊臣秀吉小田原陣陣立」『大日本古文書. 家わけ 三ノ一(伊達家文書之一)』東京帝国大学、1908年、635頁 。
- ^ a b c d e 高柳 & 松平 1981, p. 151.
- ^ 畿内で東軍に与したのは、伏見城詰衆を除けば、織田長益、京極高次、本多俊政、筒井定次、有馬則頼、細川忠興、木下延俊(藤孝の娘婿、忠興の義弟)の7大名だけであった。高次は当初西軍に与すると装って東軍に与して大津城に籠城している。
- ^ a b 堀田 1923, p. 321.
- ^ 衛政の四男ものちに細川家家臣となっている。
- ^ 湯浅常山「国立国会図書館デジタルコレクション 辻小作・中黒道随が事」『常山紀談』博文館〈続帝国文庫 ; 第31編〉、1909年 。
- ^ 忠興がどういう異見を述べたかは書いてないが、「馬鹿ナル儀」は衛友のことではなく浪人のことだといったのであろう。
- ^ 松浦鎮信 著「国立国会図書館デジタルコレクション 第四十一 武功雜記」、近藤瓶城 編『史籍集覧. 第10冊』近藤出版部、1926年 。
- ^ 小和田泰経; 小和田哲男(監修)『関ケ原の戦い : 勝者の研究・敗者の研究』学研パブリッシング、2014年、46-47頁。ISBN 9784054060364。
- ^ 「試刀術」(試剣術)と呼ばれるこの刀剣性能測定法は、美意識・美的価値による芸術としての刀剣鑑定・ランク付けではなく、鎧や兜といった武具など、そして実際に人間(通常、死罪人か死体そのもの)を斬ることにより、実際の道具としての刀剣性能を品評し、またはそれに必要な技術そのものであり、経験と知識、なにより錬度の高い技術を要した。
- ^ 渡辺誠「試し斬りを本職とした幕府「御様御用」」『刀と真剣勝負 -日本刀の虚実』ベストセラーズ〈ワニ文庫 ; P-288〉、2016年。ISBN 9784584393888。
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