川勝秀氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 00:39 UTC 版)
川勝 秀氏(かわかつ ひでうじ)は、戦国時代の武将、安土桃山時代の小大名、後に江戸時代前期の旗本。秀氏流川勝家(本家)の初代当主。
- ^ a b 生年は『寛永諸家系図伝』によった。『寛政重修諸家譜』によれば、生年は天正3年(1575年)となるが、同時に永禄8年(1565年)に亡くなったはずの義輝に仕えたともあるので、前者に従った。
- ^ 堀田 1923, p. 184.
- ^ 阿部 1990, p. 263.
- ^ 秦河勝の後裔を称す。
- ^ a b c d e 堀田 1923, p. 183
- ^ 『松浦古事記』による。
- ^ この戦いでは、幽斎が承継した『古今伝授』を残そうとした後陽成天皇の勅使によって、幽斎が救われた話は有名である。
- ^ 西軍のほとんどが所領没収となった中、細川幽斎が拠る田辺城攻撃に参加した多くが所領安堵となっている(関ヶ原の戦いの戦後処理)。秀氏の減封の多寡に関しては不詳。
- ^ 同時に広綱は丹波国多紀郡・船井郡内から丹波国船井郡内に転封となった。
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 川勝秀氏のページへのリンク