文英尼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 文英尼の意味・解説 

文英尼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/23 22:42 UTC 版)

文英尼(ぶんえいに、慶長14年(1609年) - 延宝8年(1680年))は、江戸時代初期の女性。

父は園基任。はじめ、中和門院(近衛前子)に女官として仕えていた。その後、正室である徳川秀忠の娘・初姫を病気で亡くした京極忠高後室として嫁いだと思われる。

寛永14年(1637年)に忠高が死去すると出家し、文英尼と号した。万治2年(1659年)、幡枝離宮[1]後水尾天皇から譲渡され、輪王寺宮守澄法親王の補助を受け、景川宗隆を開基として大悲山円通寺とした。寛文2年(1662年)には霊元天皇の行幸を受ける。

姉に後水尾天皇典侍園光子(壬生院)がおり、後光明天皇の叔母にあたる。兄の園基音の娘が園国子(新広義門院)であり、霊元天皇の大叔母であることもあり、霊元天皇の乳母となる。

延宝8年(1680年)に死去。享年72。戒名は円光院瑞雲文英大姉

参考文献

  • 国民の歴史
  • 京都の寺社505を歩く 上巻
  • 京都府愛宕郡村誌
  • 日本歴史大辞典 第2巻
  • 京都ともある記

脚注

出典

  1. ^ 京都市左京区 | 勅願所 圓通寺 | 寺院”. 勅願所 圓通寺. 2024年9月7日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「文英尼」の関連用語

文英尼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



文英尼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの文英尼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS