有栖川宮職仁親王とは? わかりやすく解説

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有栖川宮職仁親王

読み方ありすがわのみや よりひと しんのう

霊元天皇第十皇子。幼称を明宮有栖川宮継ぎ中務卿一品叙せられる。和歌好み、書をよくし歌道桃園後桜町二帝に仕える。関白近衛内前・尚実・貞建・家仁・典仁四親王准大臣勝胤・光胤・雅香等の和歌師範明和6年(1769)薨去57才。

有栖川宮職仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/10 05:48 UTC 版)

有栖川宮職仁親王
有栖川宮
有栖川宮職仁親王
続柄 霊元天皇第17皇子

身位 親王
敬称 殿下
出生 (1713-10-28) 1713年10月28日
日本
死去 (1769-11-19) 1769年11月19日(56歳没)
日本
配偶者 二条淳子
  越前
  菖蒲小路
  藻塩
子女 有栖川宮織仁親王
父親 霊元天皇
母親 右衛門佐局
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有栖川宮職仁親王(ありすがわのみや よりひとしんのう 正徳3年9月10日1713年10月28日) - 明和6年10月22日1769年11月19日))は、江戸時代皇族世襲親王家有栖川宮第5代当主。霊元天皇第16皇子。いわゆる有栖川流書道を創始した。享保元年(1716年)に、有栖川宮の第4代当主正仁親王が嗣子なく没したため、有栖川宮を相続した。享保11年(1726年)に親王宣下中務卿となる。寛延2年(1749年)5月に一品に叙せられる。霊元天皇の皇子としては兄尊賞法親王に次ぎ歌道に優れ、桃園後桜町後桃園の3天皇をはじめとして300名に伝授した。父から受け継いだ書道にも造詣が深く、有栖川流書道の創始者として知られる。

妻室・子女

  • 妃:二条淳子(1713-1774) - 二条吉忠
    • 第1王子:音仁親王(1729-1755)
    • 第2王子:叡仁入道親王(1730-1753)(三千院
  • 家女房:越前(松岩院)
    • 第3王子:覚仁入道親王(1732-1754)(仁和寺
    • 第4王子:増賞入道親王(1734-1770)(実相院聖護院
    • 第5王子:律宮(1737-1744)
  • 家女房:菖蒲小路(後藤温子) - 後藤左一郎娘
  • 家女房:藻塩(賀茂茂利) - 山本廉顕
  • (養子、実は音仁親王の子女)

妃の二条淳子の父方の祖母は霊元天皇の第3皇女・栄子内親王(1673年生)で、職仁親王の40歳上の異母姉であり、職仁親王と淳子は同年生まれではあるものの、大叔父と大姪の結婚である。嫡男・音仁親王が早世したことにより、まだ寺に入っていなかった末の王子・織仁親王が後継となった。

参考文献

  • 『新修有栖川宮系譜』 高松宮藏版、(1940年)



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