近衛経熙とは? わかりやすく解説

近衛経熙

読み方このえ つねひろ

江戸後期公卿関白太政大臣近衛内前の子従一位。初名は師久。号に後予楽院。内大臣をへて、のち右大臣にいたる。寛政11年(1799)歿、39才。

近衛経熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 03:28 UTC 版)

近衛 経熈(このえ つねひろ、旧字体: 近󠄁衞 經熈)は、江戸時代中期の公卿官位従一位右大臣近衛家25代当主。後陽成天皇男系七世子孫である。


注釈

  1. ^ 外様大名出身の茂姫を御台所とすることに難色を示した幕府に配慮し、鎌倉時代より近衛家と島津氏が擬制同族関係にあったこと、近衛家が以前から島津氏出身の正室を迎えていた縁から、近衛家養女となった。詳細は「広大院」参照。

出典

  1. ^ 芳賀ほか 1993, p. 431.


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