万里小路秀房
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万里小路秀房(までのこうじ ひでふさ、明応元年(1492年) - 永禄6年(1563年)11月12日)は、戦国時代中期の公卿。法名は等祺、院号は龍証院。初名は万里小路量房。
官歴
- 永正3年(1506年):右兵衛佐
- 永正4年(1507年):右少弁、蔵人
- 永正5年(1508年):正五位下
- 永正6年(1509年):正五位上
- 永正7年(1510年):右中弁
- 永正14年(1517年):正四位下
- 永正15年(1518年):左中弁、蔵人頭
- 永正17年(1520年):正四位上
- 永正18年(1521年):右大弁、参議
- 大永2年(1522年):従三位、近江権守、造興福寺長官
- 大永4年(1524年):正三位、左大弁
- 大永5年(1525年):権中納言
- 享禄3年(1530年):従二位
- 天文5年(1536年):正二位、権大納言
- 天文15年(1546年):内大臣
- 天文20年(1551年):出家のため致仕
系譜
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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