万里小路輔房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 18:23 UTC 版)
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| 時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 | 
| 生誕 | 天文11年(1542年) | 
| 死没 | 天正元年8月5日(1573年9月1日) | 
| 官位 | 正三位、権中納言 | 
| 主君 | 正親町天皇 | 
| 氏族 | 万里小路家 | 
| 父母 | 父:万里小路惟房、母:畠山家俊の娘 | 
| 兄弟 | 輔房、伏見宮貞康親王御息所、今出川晴季室ら | 
| 子 | 養子:充房[1] | 
| 花押 |  | 
万里小路 輔房(までのこうじ すけふさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿。官位は正三位・権中納言。万里小路家12代当主。
経歴
天文11年(1542年)、内大臣・万里小路惟房の子として誕生。
天正元年(1573年)、父・惟房が薨去して万里小路家を継ぐが、わずか2か月後に薨去した。
系譜
脚注
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