済深法親王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 済深法親王の意味・解説 

済深法親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/19 00:07 UTC 版)

済深法親王(さいしんほっしんのう、寛文11年8月16日1671年9月18日) - 元禄14年12月2日1701年12月30日[1])は江戸時代皇族霊元天皇の第1皇子。母は小倉実起娘・中納言典侍。初名は寛清[1]

天和2年(1682年)10月25日に親王となり、10月28日に得度慈尊院大僧正の永愿に師事する。元禄元年(1688年)3月4日、二品に叙せられる。東大寺別当を務めた。元禄14年(1701年)に31歳で死去[1][2]

脚注

  1. ^ a b c 本朝皇胤紹運録』(『群書類従』第5輯(群書類従刊行会、1954年)p.110)
  2. ^ 京都風光(京都寺社案内)>勧修寺宮墓地 (京都市山科区)

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  済深法親王のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「済深法親王」の関連用語

済深法親王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



済深法親王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの済深法親王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS