江戸時代と大仏殿再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:24 UTC 版)
「東大寺の歴史」の記事における「江戸時代と大仏殿再建」の解説
江戸時代、奈良の町に奈良奉行が置かれた。この奈良奉行を支配下としたのが京都町奉行だった。京都町奉行の命令は、奈良の行政、司法を差配し、奈良奉行が受け持ったのは朱印地を持つ寺社であった。 大仏殿再建など、元禄の東大寺再興にあたったのが、公慶上人である。公慶は慶安元年(1648年)、丹後国宮津(現在の宮津市)で生まれた。東大寺境内の水門郷で育ち、同寺で出家した。ある日、大雨に打たれる露座の大仏を見た公慶はその姿に悲嘆し、大仏殿の再建を決意したという。 そして貞享元年(1686年)、公慶は幕府の認可をもって江戸、京、大坂の大都市を中心に勧進を始め、貞享5年に勧進上人に任ぜられた。江戸では長寿院を、東大寺では自ら創建した子院の竜松院を拠点とし、元禄3年に大仏の頭を、元禄4年には東大寺八幡宮(手向山八幡宮)の修造がなった。大仏殿の修復は未完であったものの、元禄5年に、大仏再建をもってとりあえずの開眼供養をした。開眼導師は別当の済深法親王が、供養の導師は勧進に協力的であった興福寺一乗院門跡の眞敬法親王が、結願日の導師は華厳長吏で尊勝院主の道恕大僧正が務めた。供養には諸国から多くの民衆が結集し、多数の正倉院蔵の宝物が陳列され、また同じく奈良の元興寺や璉珹寺、慈眼寺、薬師寺、唐招提寺、秋篠寺なども宝物を開陳したため、大いに賑わった。『大仏殿再建記』は、この時集った民の数を20万人以上と伝えている。 大仏殿再建のために、より一層の幕府の協力が必要であった。公慶は、知り合った隆光のつてを頼って、桂昌院とその子、将軍徳川綱吉の支持を得ることができた。幕府は公慶に大仏殿を11間から9間に縮小する計画を呑ませたものの、協力は惜しまなかった。多くの金銀を東大寺に送り、また、諸大名に人員や金銭の供出を呼び掛けた。また、元禄9年からは、奈良町奉行を内田守政と、東大寺の担当に妻木頼保を任じて、2人体制に増強した。公慶は次々と堂宇を建てていった。東大寺境内では念仏堂の修理、東南院の再建、東照宮(現在の天皇殿)、周防国にも行って、慕っていた重源の記念のために、俊乗院を建造した。元禄16年には懸案の大仏殿の大虹梁を日向国の霧島山山腹より切り出し、宝永元年までかけて苦労して奈良まで運び入れ、大仏殿はめでたく完成した。公慶は、宝永2年に死去、全寺をあげて葬儀を行い、勧進役は弟子の公盛、公俊、庸訓が継いだ。宝永6年、東大寺総供養が行われ、公慶やその弟子によりなった東大寺再建が盛大に祝われた。 江戸期再建の東大寺大仏殿の特徴として、観相窓(堂外から大仏を拝顔できるようにする窓)が採用された点がある。大仏の頭部の位置に合わせて観相窓があり、その上部に唐破風が設けられている。この建築意匠は豊臣秀頼造立の2代目方広寺大仏殿で確立されたもので、再建にあたり東大寺大仏殿にも取り入れられたとされる。それ以前の東大寺大仏殿には観相窓は設けられていないとするのが通説である。また東大寺大仏殿の柱材について、寄木材(鉄輪で固定した集成材)となっているが、この技法も2代目方広寺大仏殿で確立されたものとされ、東大寺大仏殿にも取り入れられたとされる。豊臣秀吉による方広寺初代大仏殿造営時に、日本各地の柱材に適した巨木を伐採しつくしたため、森林資源が枯渇したようであり、苦肉の策と言える。 なお宝永6年(1709年)から寛政10年(1798年)までは、奈良(東大寺)と京都(方広寺)に、大仏・大仏殿が双立していた。江戸期において、方広寺大仏(京の大仏)は日本一の高さを誇っていたが、前述のように方広寺大仏は寛政10年(1798年)に落雷で焼失した。江戸時代中期の国学者本居宣長は、双方の大仏を実見しており、東大寺大仏・大仏殿について「京のよりはやや(大仏)殿はせまく、(大)仏もすこしちいさく見え給う」「堂(大仏殿)も京のよりはちいさければ、高くみえてかっこうよし[東大寺大仏殿は方広寺大仏殿よりも横幅(間口)が狭いので、高く見えて格好良いの意か?]」「所のさま(立地・周囲の景色)は、京の大仏よりもはるかに景地よき所也」という感想を日記に残している(在京日記)。一方方広寺大仏については「此仏(大仏)のおほき(大き)なることは、今さらいふもさらなれど、いつ見奉りても、めおとろく(目驚く)ばかり也」と記している。 なお京都の東福寺にも明治初頭まで大仏が安置されていた。巨大な「仏手」が現在残存しているが(現存部分の長さ2m)、これは大仏の左手部分のみが、明治の火災の際に救い出されたものとされている。一説には東福寺大仏の高さは5丈(約15m)ともいわれ、こちらも東大寺大仏の高さを上回っていたかもしれない。
※この「江戸時代と大仏殿再建」の解説は、「東大寺の歴史」の解説の一部です。
「江戸時代と大仏殿再建」を含む「東大寺の歴史」の記事については、「東大寺の歴史」の概要を参照ください。
- 江戸時代と大仏殿再建のページへのリンク