建築意匠とは? わかりやすく解説

建築意匠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 04:52 UTC 版)

世界平和記念聖堂」の記事における「建築意匠」の解説

ポール・ボナッツからの影響としては、村野別のところでも同じポール・ボナッツとフリッツ・ショーラー設計によるシュトゥットガルト駅(英語版)(1911年-1927年)のことにも触れている。しかし聖堂鐘楼組み合わせ構成という点から言えば、スイス・バーゼルにあるカール・モーゼル(ドイツ語版)の聖アントニウス教会ドイツ語版)(1927年)との類似性がよく指摘されるところである。 外観は違うが、インテリアにおいてはスウェーデン建築家イーヴァル・ユストウス・テングボム設計によるストックホルム郊外のヘガリット教会スウェーデン語版)(1923年)の影響あげられる。実は、村野1930年昭和5年)の欧州外遊以来1953年昭和28年)にこの教会を再び訪れた際、この教会の中で「どうか、私に此の教会作者のように才能与え給え、どうか私の努力が死ぬまで枯れずに続くように導き給え」と祈ったというエピソードがあるくらい、村野藤吾にとっては重要な建築である。この1953年昭和28年)のストックホルム再訪は、まだ世界平和記念聖堂内部最終的に仕上がる前のことである。 聖堂内部の床はテラゾー現場研き仕上げ祭壇周りには大理石張られている。内部壁面巾木はイミテーショントラバーチンで仕上げられ内壁蛭石入のモルタル掻き落とし、色モルタル吹き付け仕上げとなっている。随所にある花弁形や円形木瓜型の開口部日本的意匠取り入れられているほか、天井鉄骨小屋組から吊るされ不燃板下地に小節材を打ち付けて日本的な表情見せている。当初設計段階では軽量鉄骨をリブラスで巻き付け、プラスターアルミ箔張り仕上げるつもりだったというが、いかにも村野藤吾好みではある。音響的欠点指摘され現在の姿落ち着いたとされる内陣正面の壁はモザイクで「再臨キリスト」が描かれているが、通常多く教会十字架復活キリスト像が置かれる中、この「再臨キリスト」像には特別の意味がある。キリストの再臨とは世界終わり迎える日のことであり、神が人間の世界直接介入しキリストによる支配確立される時である。キリスト教の信仰から言えばすべての犠牲聖徒たちの血が購われる時であり、したがってこの世の終わり一足先に経験したのようなヒロシマの地に建つ記念聖堂として、その終末観色濃く示唆しているのである。それは絶望果て希望であり、また廃墟から警告でもある。ヒロシマはその証言者であり、世界平和記念聖堂また、自ら歩んできた建築の歴史によってそれを記念する証人となっている。 外装コンクリート打ち放し柱梁に色モルタル吹き付けて自家製コンクリートレンガ積。外装灰色のコンクリートレンガは広島川砂防水セメント混ぜ日陰干しにして固めたのである。コンクリートレンガの目地の間は広くとられており、ヘラひっかいて荒く仕上げられている。レンガ積み方平滑仕上げるのではなく、わざと凹凸突出させて陰影深くし、壁面表情変化付け全体印象柔らげている。雨跡がつくことによっても色合い変えるよう、村野職人的手法によってモダン建築経年変化折り込まれているのである。 窓廻り自家製コンクリートブロックに、現場制作スチールサッシ打ち込み聖堂正面特徴的な欄間彫刻は、キリスト教7つ秘跡表しており、彫刻家武石弘三郎原型作り広島県御調町出身彫刻家円鍔勝三坂上政克が、現場で制作したものが嵌められている。 メンテナンス用に設けられ外部作業通路躯体からはみ出して、躯体ドラム部分取り合いの悪い、いささか取って付けたような花弁状の複雑な八角形形体の「ちょっと変わった丸屋根」のドームは、アメリカニューヨーク実業家トーマス・A・ブラッドレー寄贈よるものである。ブラッドレー5万ドルにものぼる多額寄付は、当時換算レート1800万円にもなり、初発計画時には聖堂建設費をほぼ満たすであった。 しかし折からインフレ建設資材高騰しブラッドレー追加援助求めたところ、聖堂まるごと寄贈した形になるのではなく自分の金が他人寄付金中に埋没してしまう事態不快感示しそれならばと、伝統的な大聖堂建築にとって最も重要な部分である内陣とその上部のドームブラッドレーからの寄付金充当するということで、追加資金援助の話がまとまったのである。つまり村野藤吾最初このようなドーム付けるつもりはなかったということである。とはいえ、これはブラッドレー売名行為から出たものではなくブラッドレー父子1962年昭和37年)の広島訪問の際までこの篤志秘匿されていたことも、付記しておかなければならない村野が「まことに期待通り結果得られない申訳ありませんが、これから十年後になったら何んとか見られるようになりましょう」と自ら語ったその言葉通り、この建築は他のコンクリート打ち放しモダニズム建築にない美し風化気配漂わせている。しかしながら建ちあがった当時は、丹下健三広島平和記念資料館1955年)とはまた少しばかり違った表情ではあったにせよ、一面焦土化した広島大地打ち放しコンクリートの素の力強さ見せてすっくと立ち上がり、ともに希望象徴となったのである

※この「建築意匠」の解説は、「世界平和記念聖堂」の解説の一部です。
「建築意匠」を含む「世界平和記念聖堂」の記事については、「世界平和記念聖堂」の概要を参照ください。

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