東大寺の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 16:09 UTC 版)
この項目では東大寺の歴史(とうだいじのれきし)について解説する。東大寺は、奈良県奈良市にあり、現在では華厳宗の大本山の奈良時代から続く歴史ある大寺院である。奈良の大仏(盧舎那仏、るしゃなぶつ)があることで有名である。
注釈
- ^ 伊賀国黒田杣では、摂関家の氏寺として力を持っていた興福寺の圧迫もあって乱伐がすすみ、毎年のように宇陀川の洪水、氾濫を引き起こしたほどであった[3]。
- ^ 東大寺戒壇と違い、平安時代に興隆した比叡山戒壇での受戒は、大陸では正式なものと認められることはなかった[15]。
- ^ 正倉院文書や『東大寺要録』にみられる表現であり、本来なら法相宗ではなく、中観派や華厳宗を指すものであるが、この当時の日本では、法相宗と法性宗を混同することが多い[16]。
- ^ しかし、この大改修の後は、また寺主体の修造に戻っている。
- ^ 定長は、兄の吉田経房とともに幕府と法皇との文書のやり取りや、また、法皇と兼実間の、仲介役、連絡役を務めていた。
出典
- ^ 橋本 (2003)p.5
- ^ 平岡 (1977)pp.10 - 14.
- ^ 新井 (2005)pp.35 - 45.
- ^ 橋本 (2003)p.8 『続日本紀』での表記。
- ^ 橋本 (2003)pp.7 - 8.
- ^ 石田 (1966)pp.37 - 38.
- ^ 橋本 (2003)p.10
- ^ 吉川真司編『東大寺成立過程の研究』科学研究費補助金研究成果報告書、京都大学、2001年
- ^ 上原真人「東大寺法華堂の創建」『考古学の学際的研究』岸和田市・岸和田市教育委員会、2001年
- ^ 吉川 (2003)pp.64 - 70.
- ^ 五来 (1975)pp.58 - 59
- ^ 橋本 (2003)p.19 - 21
- ^ 飯沼賢治「信仰の広がり」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01729-9 P158-164
- ^ 新井 (2005)p.33
- ^ 松尾 (2008)pp.58 - 60.
- ^ 橋本 (2003)p.66
- ^ 新井 (2005)p.35
- ^ 伊藤 (2008)p.86-91.
- ^ 平岡 (1977)pp.126-127
- ^ 小原 (2007)pp.161-165
- ^ 小原 (2007)pp.161-162
- ^ 小原 (2007)pp.162-165
- ^ 五味 (1995)pp.159 - 162.
- ^ 『東大寺文書』二「建久四年六月東大寺三網等陳状」(『鎌倉遺文』2巻674号)及び『山城随心院文書』「元久三年四月一五日(後)鳥羽院庁下文」(『鎌倉遺文』2巻1613号)
- ^ 新井 (1999)p.369-371
- ^ 遠藤 (2007)p.92
- ^ 網野 (1996)pp.56 - 58.
- ^ ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー『ケンペルと徳川綱吉 ドイツ人医師と将軍との交流』中央公論社 1994年 p.95
- ^ 奈良国立博物館『特別展 東大寺公慶上人 江戸時代の大仏復興と奈良』2005年
- ^ 黒田龍二・石田理恵「東大寺大仏殿内建地割板図について」(『奈良国立博物館研究紀要 (6)』収録)2004年
- ^ a b 大林組『秀吉が京都に建立した世界最大の木造建築 方広寺大仏殿の復元』 2016年
- ^ a b c 『本居宣長全集 第16巻』1974年出版 在京日記 宝暦七年の条 p.136
- ^ 『本居宣長全集 第16巻』1974年出版 在京日記 宝暦七年の条 p.106
- ^ 平岡 (1977)pp.197-198. 当時奈良県古社寺修理技師の加護谷祐太郎の談話による
- ^ 平岡[2014:143]
- ^ 平岡[2014:146-150]
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