東大寺大勧進職とは? わかりやすく解説

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東大寺大勧進職

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 16:03 UTC 版)

重源」の記事における「東大寺大勧進職」の解説

東大寺盧舎那仏像」を参照 東大寺再建には財政的技術的に多大な困難があった。周防国税収再建費用当てることが許されたが、重源自らも勧進聖勧進僧土木建築美術装飾関わる技術者職人集めて組織し勧進活動によって再興必要な資金集め、それを元手技術者職人実際再建事業従事したまた、重源自身も京の後白河法皇九条兼実鎌倉源頼朝などに浄財寄付依頼し、それに成功している。 重源自らも中国建設技術建築術を習得したといわれ、中国技術者陳和卿協力得て職人指導した。自ら巨木求めて周防国材木切り出す山)に入り佐波川上流山奥現在の山国付近)から道を切開き、川に堰を設けるなどして長さ13丈(39m)・直径5尺3寸(1.6m)もの巨大な木材奈良まで運び出したという。また、前述阿育王寺舎利殿再建為に周防木材一部中国にも送っている(当時中国(宋)の山林荒廃し木材貴重品であった)。更に伊賀紀伊周防備中播磨摂津別所築き信仰造営事業拠点とした。 途中いくつも課題もあった。大きな問題大仏殿次にどの施設再興するかという点で塔頭再建した重源と僧たちの住まいである僧房すら失っていた大衆たちとの間に意見対立があり、重源はその調整苦慮している。なお、重源東大寺再建際し西行奥羽への砂金勧進依頼している。更に東大寺再建のためには時には強引な手法用いた建久3年9月播磨国大部荘にて荘園経営拠点となる別所浄土寺)を造営した時及び周防国阿弥陀寺にて湯施行施設整備した時に関係者より勧進およびその関連事業への協力への誓約取り付けたが、その際協力約束違えれば現世では「白癩黒癩重度皮膚病)」の身を受け、来世では「無間地獄」に堕ちて脱出の期はないという恫喝的な文言示している。また、文治2年7月から閏7月にかけての大仏発光現象など大仏再建前後発生した霊験譚を重源あるいはその側近たちによる創作演出とする見方もある。 こうした幾多の困難を克服して重源と彼が組織した人々働きによって東大寺再建された。文治元年8月28日1185年9月23日)には大仏開眼供養が行われ、建久6年1195年)には大仏殿再建し建仁3年1203年)に総供養行っている。 以上の功績から重源大和尚称号贈られている。また東大寺では毎年春の修二会お水取り)の際、過去帳読踊において重源は「造東大寺勧進大和尚南無阿弥陀仏」と文字数長く読み上げられ功績際立って大きかった事が示されている。 重源死後は、臨済宗開祖として知られる栄西が東大寺大勧進職を継いだ東大寺には重源祀った俊乗堂があり、「重源上人坐像」(国宝)が祀られている。運慶の作とする説もあり、鎌倉時代彫刻顕著なリアリズム傑作として名高い浄土寺播磨別所重要文化財天福2年1234年東大寺像の模作)、新大仏寺伊賀別所重文)、阿弥陀寺周防別所重文)にも重源上人坐像現存する

※この「東大寺大勧進職」の解説は、「重源」の解説の一部です。
「東大寺大勧進職」を含む「重源」の記事については、「重源」の概要を参照ください。

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