開眼法要
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/10 22:39 UTC 版)
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開眼法要(かいげんほうよう)は、仏像、仏画、仏壇、墓などの完成の際に営まれる法要のこと。開眼供養、入魂式、魂入れとも言う。
例外として浄土真宗では、「開眼法要」・「入魂式」は営まない(詳細は#御移徙を参照)。
概説
仏像を造る際、大部分を完成させておいて最後に「点睛」すなわち「眼を描き込む」ことにより、人の手で作られた物としての像は仏像に成る。 像に尊い魂が入って完成することから、特に点睛を重要視し、後世「開眼法要」として儀式化した。
東大寺大仏
日本での開眼法要の例としては、天平勝宝4年(752年)4月9日 (旧暦)に行われた東大寺大仏(毘盧遮那仏)の開眼法要が名高い。
聖武上皇によって開催され、天竺から唐を経て日本に来た僧侶菩提僊那(ぼだい-せんな)が実際に眼を入れた。 この時、五色の紐を開眼の筆につけて集まった人々に持たせ、利益(りやく)が行き渡るようにした。
御移徙
浄土真宗では、本尊などに魂を込めるという概念が無いため、「御移徙」(ご-いし、お-わたまし)と呼ばれる慶事の法要を営む。
「移徙」(いと)(「徙移」〈しい〉とも言う)とは、「移り動くこと」・「移転」を意味する語であるが、特に「わたまし」とするときは「尊い人の転居」を言う敬語であり、崇拝すべき仏にもあてられる。
脚注
注釈
出典
関連項目
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開眼供養
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:06 UTC 版)
こうして、天平勝宝4年4月9日(752年5月26日)には大仏開眼供養会が挙行された。聖武太上天皇(すでに譲位していた)、光明皇太后、孝謙天皇を初めとする要人が列席し、参列者は1万数千人に及んだという。 開眼会当日の様子は次のようなものであった。大仏殿前の庭には五色の幡と宝樹が飾られ、中央には舞台が、東西には『華厳経』の講師と読師のための高座が設置された。大仏殿内は造花と繍幡(刺繍を施した幡)で荘厳されている。玉座には聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇が座す(『続日本紀』、『東大寺要録』)。孝謙天皇は中国風の冕冠を被り、和神事用の白の帛衣という、和中混在した礼服。聖武の礼服も白色と伝わり、和神事用礼服だと推定されていて、唐礼を受容して中国の皇帝的な在り方を目指す過渡的な姿だとされる。孝謙天皇の冕冠の残闕と冠架・箱は正倉院に伝わる。南門からは上位の僧1,026人が入場。本日の開眼の導師を務めるのはインド僧の菩提僧正(菩提僊那)、『華厳経』を講ずる講師は大安寺の隆尊律師、『華厳経』を読み上げる読師は元興寺の延福法師である。大仏の瞳を描き入れる儀式は、聖武太上天皇が体調不良のため、菩提僧正が担当した。菩提僧正が開眼に使用した筆には長大な縷(る)が取り付けられており、列席の人々はこの縷に触れて大仏に結縁した。このあと、唄(ばい)、散華(さんげ)、梵音(ぼんのん)、錫杖(しゃくじょう)という四箇法要が行われ、続いて『華厳経』の講説がある。続いて衆僧・沙弥9,799人が南門から入場し、幄(仮の座席)に着座した。大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺の四大寺の僧か数々の珍宝を大仏に献ずる。さらに日本、中国、朝鮮の楽人・舞人らによる楽舞が披露される(『続日本紀』、『東大寺要録』)。当日披露されたのは大歌女・大御舞(おおうため・おおみまい)、久米舞、楯伏舞(たてふしのまい)、女漢躍歌(おんなあやおどりうた)、跳子(とびこ)、唐古楽、唐散楽、林邑楽(りんゆうがく)、高麗楽、唐中楽、唐女舞、高麗女楽であり、これらが夕方まで行われた(『東大寺要録』)。このうちの林邑楽が、仮面劇の伎楽にあたるとみられる。開眼法要で使用された伎楽面は東大寺および正倉院に現存している。 『正倉院文書』のうちには、『蝋燭文書』と称する巻物があり、内容不明とされていたが、これが大仏開眼会に列席した万僧の交名(名簿)であることが判明し、「1万数千人」は誇張ではなかったことがわかった。開眼の際に使用した筆や墨、筆に結び付けられた紐である開眼縷(る)、当日大仏に奉納された伎楽に使用された面などは、正倉院宝物として現存している。「天平宝物筆」と呼ばれる仮斑竹(げはんちく)製の筆は長さ56.6センチ、「天平宝物墨」と呼ばれる墨は長さ52.5センチ。縹縷(はなだのる)は長さ190メートルに及ぶ。『続紀』は当日の様子を、「仏法東帰してより斎会の儀、未だ嘗て此の如き盛なるはあらず」(日本に仏教が伝来して以来、これほど盛大な儀式はなかった)と述べている。
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