正倉院宝物とは? わかりやすく解説

正倉院宝物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 18:58 UTC 版)

正倉院」の記事における「正倉院宝物」の解説

756年天平勝宝8歳6月21日光明皇太后は夫である聖武太上天皇七七に際して天皇遺愛の品約650点、及び60種の薬物東大寺廬舎那仏大仏)に奉献したのが始まりである。光明皇太后その後3度わたって自身聖武天皇ゆかりの品大仏奉献し、これらの献納品は正倉院納められた。献納品目録である『東大寺献物帳』も正倉院保管されている。献物帳五巻からなりそれぞれ国家珍宝帳』、『種々薬帳』、『屛風花氈等帳』、『大小王真跡帳』、『藤原公真跡屛風帳』と通称されている。 正倉院宝庫は、北倉ほくそう)、中倉ちゅうそう)、南倉(なんそう)に区分される北倉は主に聖武天皇光明皇后ゆかりの品収められ中倉には東大寺儀式関係品、文書記録造東大寺司関係品などが収められていた。また、950年天暦4年)、東大寺羂索院(けんざくいん)・双倉(ならびくら)が破損した際、そこに収められていた物品正倉院南倉に移されている。南倉宝物には、仏具類のほか、東大寺大仏開眼会(かいげんえ)に使用され物品なども納められており、1185年文治元年)の後白河法皇による大仏再興開眼会に宝物仏具類が用いられた。そのほか長い年月の間には、修理などのために宝物が倉から取り出されることが度々あり、返納の際に違う倉に戻されたものなどがあって、宝物所在場所はかなり移動している。上述のような倉ごとの品物区分明治以降近代的な文化財調査が行われるようになってから再整理されたものである。 『献物帳記載の品がそのまま現存しているわけではなく武器類薬物書巻楽器などは必要に応じて蔵されそのまま戻らなかった品も多い。刀剣類などは藤原仲麻呂の乱恵美押勝の乱)の際に大量に持ち出され、「献物帳記載の品とは別の刀剣代わりに返納されている。また大仏開眼の際に聖武天皇光明皇后着用した冠など、何らかの事情破損した宝物存在するが、その破片所蔵されている場合もある(礼服御冠残欠などの残欠)。また、一部唐櫃鎌倉時代江戸時代のものであり、宝物中にも後世追納されたものが多いという説がある。 『国家珍宝帳』に記され献納品には後の時代持ちだされたことを示す除物付箋付けられたものが7点(封箱、犀角蕆、陽宝劔陰宝劔、横刀、黒作懸佩刀挂甲)ある。このうち光明皇后死去する半年前の天平宝字3年759年12月に出蔵され陽宝劔陰宝劔は、献物帳にある大刀100口の筆頭記されていたが、その後行方判明していなかった。1907年明治40年)から翌年にかけて東大寺金堂大仏殿盧舎那仏須弥壇周辺から大刀6口、水晶玉挂甲残欠などが発見され東大寺金堂鎮壇具」として国宝指定されている。2010年元興寺文化財研究所このうち金銀大刀2口のX線撮影おこなったところ、刀身から「陽劔」「陰劔」の象嵌銘発見され国家珍宝帳記されていた陽宝劔陰宝劔であることが確認された。専門家の間では光明皇后国家平安願って埋納したものであると考えられている。陽宝劔陰宝劔東大寺ミュージアム保管されている。 正倉院三倉なかでも特に北倉聖武天皇光明皇后ゆかりの品収めることから、早くから厳重な管理なされていた。宝庫の扉の開封には勅使天皇からの使い)が立ち会うことが必要とされていた。なお「勅封」という言葉は本来「天皇署名入りの紙を鍵に巻きつけて施錠すること」を指す。正倉院宝庫がこの厳密な意味での「勅封になったのは室町時代以降であるが、平安時代各種文書記録にも正倉院を「勅封」と表現しており、事実上勅封であった見なし差し支えないといわれる平安時代中期には北・中・南の三倉とも勅封と見なされていたが、東大寺什器類を納めていた南倉のみは、後に勅封から綱封(東大寺別当らの寺僧組織管理する)に改められた。1875年明治8年)、正倉院全体明治政府管理下におかれてからは南倉も再び勅封となっている。

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