正倉院の代表的な宝物とは? わかりやすく解説

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正倉院の代表的な宝物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 18:58 UTC 版)

正倉院」の記事における「正倉院の代表的な宝物」の解説

本節では正倉院の代表的な宝物について取り上げる。 赤漆文欟木御厨子せきしつぶんかんぼくのおんずし) 「赤漆文欟木御厨子」も参照 漆塗り物入れ。高102cm。正倉院の中で最も由緒があり、飛鳥時代天武天皇 (?-686) まで遡る天武天皇遺愛の品である。「古様作」とあることから、天武天皇時代作成された本厨子は、1300年前の当時から見ても古い様式であったようである。天武天皇持統天皇文武天皇元正天皇聖武天皇孝謙天皇受け継がれ孝謙天皇東大寺献納した国家珍宝帳によれば天皇身近に置かれ聖武天皇筆の「雑集」、元正天皇筆の「孝経」、光明皇后筆の「楽毅論」、王羲之書法20巻刀子、笏など天皇身の回り宝物大切に納められていたようである。元正天皇筆の「孝経」などは失われ現存していないが、聖武天皇筆の「雑集」、光明皇后筆の「楽毅論」などは現存している。天武天皇から始まり6代もの天皇伝えられた本厨子は、正倉院宝物中でも特異な存在である。 平螺鈿円鏡(へいらでんはいのえんきょう)・平螺鈿八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう) 鏡の背面異な材質飾った宝飾鏡である。正倉院には56面の鏡が伝わっているが、螺鈿細工の鏡は、平螺鈿円鏡7面と平螺鈿八角鏡2面、計9面が伝わる。ただし、内5面鎌倉時代盗難合い粉々に砕かれ1面除き4面破片接続して補修したのである。径27cm前後夜光貝螺鈿細工鼈甲琥珀トルコ石ラピスラズリ飾った非常に豪華な鏡である。この宝物正倉院宝物華やかさ世界性を象徴するものの1つで、夜光貝鼈甲東南アジア産、琥珀ミャンマーあるいは中国産、トルコ石イラン産、ラピスラズリアフガニスタン産だ考えられている。 金銀山水八卦背八角鏡きんぎんさんすいはっけはいのはっかくきょう) 径40.7cm。平螺鈿円鏡、平螺鈿八角鏡同じく宝飾鏡であるが、この鏡は背面に銀の板を張り細工施している。さらに主要な箇所には鍍金施してあり、非常に精巧な鏡である。中央のつまみに蓬萊山表し、その周囲水鳥、亀、鳳凰、龍、孔雀オシドリオウム、鹿などを配置している。注目すべきことは外側五言律詩刻まれており、次のように訳される。「自分一人ぼっちの姿に旅人として異国にある身を嘆き憂え、楽を奏で歌を歌って唱和する者も無いまま幾年経ったことか。今新たにこの心胆照らし出す素晴らしい鏡が出来上がったそれにしてもこの鏡に映すに相応しいあの美しい人遥かに思い出す。この鏡の中を舞う鳳凰近く棲み家帰りゆき、同じく龍は海を渡ってたばかり。この鏡をしっかりとしまいこみ故郷帰る日まで待とう。そしてその日にはこれをひもとき愛しい人照らし出そう黄金瑠璃鈿背十二稜鏡おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう) 銀製宝飾鏡で背面七宝でできている。正倉院唯一の七宝製品であるが、古代において七宝自体資料極めて少ない。本鏡の一部成分未溶解のままの不透明な部分多く未熟なガラス制作技術起因し七宝起こり伝え貴重な資料となっている。またこの鏡には箱が現存しており、漆皮八角鏡箱と呼ばれる生皮を鏡の箱用に形成し、布の上から黒漆塗って金銀泥で仕上げている。この製法奈良時代盛行したが、室町以降には忘れられてしまい、明治時代正倉院宝物修理過程再発見された。 鳥毛立女屏風とりげりつじょのびょうぶ唐風女性描かれた六扇の屏風。現在では国家珍宝帳記載される聖武天皇遺愛宝物として有名である。樹木の下に唐風女性一人ずつ描いた一対で、かつては女性着衣などに羽毛飾られていた。今ではほとんど脱落してしまっており、三枚目女性肩部分にわずかに残るのみである。この羽毛日本特産ヤマドリ羽毛であり、色濃い唐の趣にかかわらず国産である事が判明している。江戸時代にかなり修理補筆が行われており、第6扇は顔をのぞいてほとんど住吉内記補筆である。 鳥毛篆書屏風とりげてんしょのびょうぶ)・鳥毛帖成文書屏風とりげじょうせいぶんしょのびょうぶ漢文設え大型屏風鳥毛立女屏風同じく光明皇后により献納されたもので、聖武天皇のもとで使用された品である。鳥毛篆書屏風篆書と同じ字の楷書交えて書いたもの、鳥毛帖成文書屏風肉太楷書書いた屏風で、文章君主座右の銘というべきもので、天皇身近に置かれ屏風相応しい。文字羽毛と金箔で飾られており、鳥毛立女屏風同じく羽毛日本特産ヤマドリである。この2つ屏風江戸時代幾度か大幅な修理受けているが、古代天皇執務室飾った姿を現在までよく伝えている。またそれぞれ収納用の袋も現存しており、こちらも献納当初まで遡る由緒ある品である。 象木臈纈屏風(ぞうきろうけちのびょうぶ)・羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ文字通り象と羊がデザインされ屏風である。斉衡3年856年6月25日行われた宝物点検記録から、元々は1つ屏風であったことが判明している。ろうけつ染めによって図があらわされている。樹木の下に動物配したこの様式は、サーサーン朝ペルシア聖樹禽獣紋から影響受けている。伊藤義教は、羊木臈纈屏風モチーフゾロアスター教起源として「ブンダヒシュン」との照合考察している。象のモチーフインドあるいは中国動物由来する屏風からは緑溢れる中でさまざまな動物息づく楽園情景見てとれる 紫檀木画挟軾(したんもくがきょうしょく) 挟軾とは座ってくつろぐ際に肘置きとして使用する補助具の事である。正倉院には挟軾が本品含め3つ伝わっているが、他の2つは脚回りしか残っていない。本品3つの挟軾の中で最も豪華であり、唯一1300年前の姿を留めている。金銀絵、象牙細工など贅を尽くした装飾施されているものの、軽量化追求し日用品としての完成度の高さ備えている。国家珍宝帳にも記載されていることから、聖武天皇日常くつろぎひと時受け止めたであった想像される。なお挟軾の上面を覆う薄手クッションのような白羅褥が付属する御床ごしょう聖武天皇光明皇后ベッドである。材で作成されており、脚部などの所々には白色顔料痕跡見られることから、元々は純白塗られていたとされる。また別の宝物名ではあるが、ベッドシーツや布団などが御床セット伝えられており、当時実用家具寝具を知る上の貴重なとなっている。御床聖武天皇光明皇后それぞれ用いた2張存在するが、ベッドシーツである廣長亘両床緑は2人分ベッドを覆うサイズである。この事から聖武天皇光明皇后ベッド並べて眠っていたのがうかがえる花氈(かせん) 花などの模様織り込んだフェルト敷物である。この模様敦煌トルファン発掘され染織品に類似している。また繊維調査結果材質中央アジア産の古代ヤギの毛用いたのであることが判明し、他にも花氈の中から中央アジア産のウマゴヤシの実が混じりこんだままになっていた。この事から恐らく本花氈はコーカサスなどで暮らす遊牧民族の手によって織り込まれ遥々日本運ばれたのであろう考えられる銀薫炉ぎんくんろ純銀作成され球形香炉である。球形真ん中上下割れ、上が、下が実とされる特徴その大きさ直径18cmである。国外含めこれ程大きな球形香炉は例がない。全体精巧な透かし彫り施されており、その技術極めて高い。しかし1300年前のオリジナルの方であり、実は明治時代復元品である。 青斑石鼈合子せいはんせきべっこうす) 蛇紋岩から掘り出されスッポン形の容器である。腹部を八稜形刳り込んで、そこに同じ八稜形の皿がすっぽり納まるようになっている一見しただけならスッポン置物そのもので、注目すべきはそのリアルな写実性である。柔らかな甲羅、鋭い爪と口、一方で琥珀埋め込んだつぶらな瞳愛らしく正倉院宝物中でもユニークな物である。もう1つ特徴甲羅北斗七星の文が金と銀刻まれている事で、星座刻まれ宝物正倉院中でも極めて少ない。 蘇芳地金銀絵箱(すおうじきんぎんえのはこ) 脚付きの箱であり、本体金と銀宝相華模様描かれている。30.3x21.2x8.6cm。箱の中は淡い桃色彩色され、白の花弁描かれ丁寧な造りとなっている。このような箱は献物箱と呼ばれ、仏に供える供物入れるのに用いられた。正倉院にはこのような献物箱・数十伝えられており、その代表がこの蘇芳地金銀絵箱である。底の部分に「東小塔」と書かれており、東小塔とは西小とともに神護景雲元年767年)、称徳天皇発願百万塔納めるために建立された。当初この宝物は東小塔の備品だったが、東小塔廃絶の後正倉院移管されたと考えられている。他にも平安時代東大寺羂索院の倉庫朽損し、中の宝物正倉院移したと言う記録がある。このように何らかの原因廃絶した東大寺諸堂備品も、正倉院納められ伝承されている。 白橡綾錦几褥しろつるばみあやにしきのきじょく) 長さ99cm、幅53cmの布であり、東大寺毘盧遮那仏献納する品物載せていた。正倉院には同じよう大きさの布が十数伝わり、それらと同じ天板の几(つくえ)が伝わることから、それぞれのの上敷として用いられていたとされるいずれも豪華で贅を尽くした華麗なのであるその中で本品麻布2つ折りしたを綾で包み裏面薄緑色の絁を縫い付けただけのシンプルな布である。しかしながら本品極めて特異なもの異彩を放っており、獅子ライオン)を御する半裸人物像日本のみならず西方にもほとんど類をみない。綾の組織極めて珍しく西方でも発見されていないことから、舶載品か国産品か、未だ結論出ていない。 紺夾纈絁几褥こんきょうけちあしぎぬのきじょく) 白橡綾錦几褥同じくの上載せる敷物である。本褥は正倉院に伝わる褥の中でも数少ない染物である。文様蓮華風の花の上相対する水鳥を、満開花樹の下に配置したのである花葉唐草雲形組み合わせた円弧状の帯により上方二方下方一方区画されている。文様文様の間は防染白くくっきり残り、赤、黄、緑、濃紺見事に染め分けられている。例外的に文様1つである先端を、任意に防染せず黄色緑色混ぜ黄緑色に暈かしているが、驚くべきことに赤や紺色など他の染料入り込んでいない。この技術はすでに失われており今でも解明されていない蘭奢待らんじゃたい) 「蘭奢待」も参照 天下第一名香謳われる香木正倉院中倉薬物にあり、現在までに、足利義満足利義教織田信長明治天皇らが切り取ったといわれている。

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