正倉院での曝涼参加
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コロンビア大学での修士号取得後の1928年(昭和3年)、朝は1年間、日本に帰国した。帰国にあたり、メトロポリタン美術館からの土産として、ヨーロッパの古い甲冑を紹介した記録映画を借りてきていたが、秋山光夫を通じて東京帝室博物館に相談したところ、皇族を含めた上映会を帝室博物館で行うことになった。その上映会に列席した東伏見宮妃周子妃の侍従から推挙があったためか、朝はさらに周子妃の招きを受け、宮中でも同じ上映会を開催することとなった。 この上映会をきっかけとして、朝は周子妃より、毎年正倉院で行われる収蔵品の虫干し行事である曝涼に招待された。朝を通じて最上の日本文化が海外に紹介され、国々の文化交流、国際友好に資することを期待してのことだった。古代より受け継がれた日本文化の粋を目の当たりにした朝はいたく感動し、後に英文の著作「奈良の聖宝 正倉院と春日大社の大鎧」を出版することとなる。 またこの帰日期間を利用して、朝は時間を博士論文のテーマのデータ収集、調査にも充てた。博士論文のテーマには、日本の労働婦女子の保護法についてを取り上げることとなっていた。
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