正倉院展
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正倉院宝物は通常時、非公開である。1875年(明治8年)〜1880年(明治13年)、毎年開催された奈良博覧会の一環として、東大寺大仏殿回廊で、一部が一般に公開された。1889年(明治22年)〜1940年(昭和15年)では、正倉院内の陳列棚を設けて、曝涼(宝物の「虫干し」のことで定期的に行われる)の際に限られた人々に拝観を許していた。また、外国の高官のため、特に開封することもあった(例、1922年英国皇太子拝観)。 戦前の大規模な一般公開は、1940年(昭和15年)11月の皇紀2600年記念として東京の帝室博物館で開催された正倉院御物特別展である(約140点)。11月6日から11月24日の間に41万4300余人が入場し、博物館の入場者数の記録を塗り替えた。 染織品の展覧は、1924年(大正13年)4月に奈良帝室博物館で大規模な展示があり、さらに1932年(昭和7年)にも開催された。戦後、1946年(昭和21年)に近隣の奈良公園内にある奈良国立博物館で「正倉院御物特別拝観」として開催され、翌年以降、秋の2か月の曝涼にあわせて開催されるようになった。最初は、「正倉院御物展」「正倉院展覧会」といった表記ゆれがあり、現在の「正倉院展」の名称が定着するのは1952年(昭和27年)頃からのようだ。正倉院展は奈良で開催されなかった年もあるが、2018年(平成30年)に第70回を迎えた。 管理する宮内庁が整理済みの宝物だけで9000点に上るが、このうち正倉院展で公開される宝物の品目は毎年変更され約70点のみである。よって代表的な宝物を見るには複数年の見学が必要になる。学芸員が手作業で点検と陳列を慎重に行うがそれに前後約40日の時間を必要とするため、開催期間は約2週間程度と短い。 毎年多くの見学者を集めているが、観覧者数が特に伸びたのは2001年(平成13年)以降である。2001年(平成13年)から主催機関である奈良国立博物館の独立行政法人化を契機に、外部から協力を受ける開催方式となる。最初の4年間は朝日新聞社がその役割を担い、観覧者も前年より5万人ほど増加した。しかし、その後は低減し、独法化前と大差のない13〜14万台に戻り、2019年(令和元年)11月1日に累計観覧者数が1千万人を達成した。2005年(平成17年)の第57回から協力主体が読売新聞社に移ると、読売関係各社を動員し、それまでにない多彩で大規模なメディア展開を実行する。近年の観覧者急増には、正倉院展自体に集中的に言及するメディア体制の出現が背景にあると言える。 なお、帝室博物館の流れを汲む東京国立博物館に於いても5年に1回、正倉院展の時期に行われる展覧会で同院の収蔵物が展示される。
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