正倉院裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 21:03 UTC 版)
正倉院裂は、奈良・東大寺の倉である正倉院に伝来したもので、現在は宮内庁が管理している。ただし、一部の裂は明治時代に当時の帝国博物館に参考品として頒布され、現在東京国立博物館および京都国立博物館の所蔵となっている。法隆寺裂は奈良の法隆寺に伝来したもので、大部分は明治11年(1878年)、当時の皇室に献納され、現在は東京国立博物館の法隆寺宝物館に保管されている。法隆寺裂は、正倉院裂よりも点数は少ないが、正倉院裂より一時代古い飛鳥時代の裂を多く含む点で貴重である。この時代に属するものとしては、奈良・中宮寺の「天寿国繡帳」も著名である。この繡帳はごくわずかな断片が現存するにすぎないが、7世紀の刺繡作品として貴重である。京都・勧修寺に伝来した「刺繡釈迦説法図」(奈良国立博物館蔵)は唐からの渡来品と考えられている。奈良・當麻寺の「綴織当麻曼荼羅図」は中将姫が五色の蓮糸を用いて一夜で織り上げたとの伝説で名高いものであるが(実際は蓮糸ではなく絹糸の綴織)、こうした綴織の大作が日本では他にみられないことから、唐の製品と推定されている。 正倉院伝来の染織品は、正倉院裂と称され、現存するものは件数にして約5千件、点数としては、用途不明の断片なども含めると十数万点に及ぶ。技法的には錦、綾、羅などの織物、上代三纈(さんけち)と呼ばれる臈纈(ろうけち)、纐纈(こうけち)、夾纈(きょうけち)などの染物など、当時の日本で行われていた染織技法を網羅している。日本製のものと中国からの将来品が混在しているが、おおむね8世紀の製品である。このうち、墨書銘などから由緒・年代の明らかな遺品としては、天平勝宝4年(752年)の東大寺大仏開眼会(かいげんえ)の所用品と、天平勝宝9年(757年)、聖武天皇の一周忌法要の所用品の2種類が数量的に他を圧している。前者は、開眼会当日に演じられた伎楽などの楽舞の装束があり、後者の聖武天皇一周忌関係では、荘厳具であった幡(ばん、はた)が大量に残っている。天平勝宝8年(756年)、光明皇后が聖武天皇の七七忌に際し、東大寺大仏に聖武の遺愛品等を献納した際の東大寺献物帳(『国家珍宝帳』)記載の染織品の中では、綴織の袈裟、臈纈と夾纈の屏風の一部などが現存している。正倉院の染織品は、その点数の多さ、技法の多彩さと優秀さに加え、製作時期と由緒伝来が明確である点も学術的に貴重である。 以下に、法隆寺裂や正倉院裂に使用されている主な染織技法について略説する。
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