皇室と養蚕
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皇室における養蚕の歴史は古く、462年に「天皇、后妃をして、親ら桑こかしめて、蚕の事を勧めむと欲す(雄略天皇が皇后に蚕を飼うように勧めた)」との記述が『日本書紀』に見られる。 1871年(明治4年)、明治天皇の皇后である昭憲皇太后が吹上御苑内に蚕室を設け、長らく途絶えていた宮中での養蚕(ご養蚕)を再興。以来、「皇后御親蚕(こうごうごしんさん)」と呼ばれ、皇后の公務として継承している。生糸と蚕種(蚕の卵)は、開国直後の日本にとって最大の輸出品目で、1872年(明治5年)、政府は群馬県に富岡製糸場を設け、フランスの先進技術が導入された。養蚕業は国の最重要産業と位置付けられ、宮中の養蚕は殖産興業として奨励するという意味があった。 その後、1873年(明治6年)の火災で蚕室が消失し、ご養蚕は中断したが、同年6月、昭憲皇太后は、英照皇太后(孝明天皇の皇后)と共に富岡製糸場を行啓し、場長の尾高惇忠とフランス人技師(お雇い外国人)ポール・ブリューナの案内で製糸作業や機械室などを視察した。 1879年(明治12年)、英照皇太后が青山御所に御養蚕所を新設し、ご養蚕を再開した。同皇太后の崩御により中断の後、1908年(明治41年)に貞明皇后(大正天皇の皇后)よって再開。1914年(大正4年)、皇居の紅葉山に現在の御養蚕所が建てられた。1928年(昭和3年)に香淳皇后が引き継ぎ、1990年(平成2年)には上皇后美智子が引き継いだ。 絹産業を振興する大日本蚕糸会の総裁は、皇太后時代の貞明皇后や親王・王などの皇族が務め、1981年(昭和56年)4月からは常陸宮正仁親王が務めている。 2012年(平成24年)には、三の丸尚蔵館にて養蚕を主題とした皇后陛下喜寿記念特別展「紅葉山御養蚕所と正倉院裂復元のその後」が開催されている。
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