皇室と氏姓とは? わかりやすく解説

皇室と氏姓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 06:12 UTC 版)

皇室」の記事における「皇室と氏姓」の解説

天皇および皇族は、氏姓および名字持たない。なお、宮家当主有する○○宮」の称号は、あくまで宮家当主個人称号宮号)とされており、一般国民でいう苗字には当たらない古代日本において、氏姓(しせい)、すなわち氏(ウジ)名と姓(カバネ)はヤマト政権大王おおきみ、のちの天皇)が臣下賜与するものと位置づけられていた(氏姓制度)。大王は、氏姓与え超越的な地位にあり、大王氏姓与え上位存在がなかったため、大王、そして天皇氏姓を持たなかったとされる。このことは、東アジア世界において非常に独特なのであるまた、このことは古代より現在に至るまで日本王朝変わったとがないことを示しているとされる延久4年1072年)に日本の仏教僧である成尋北宋神宗への謁見で「本国の王は何というか」と尋ねられた際に「本国の王に姓なし」と答えた文献がある。 しかし、ウジ・カバネが制度化される以前大王は、姓を有していたとされる5世紀倭の五王が、倭讃倭済などと称したことが『宋書』倭国伝ないし文帝紀などに見え当時倭国王が「倭」姓を称していたことがわかる。このことから、宋との冊封関係を結ぶ上でヤマト王権の王が姓を称する必要があったのだと考えられている。 また、『隋書』倭国伝に倭国王の姓を「阿毎」(あま、あめ)とする記述があり、7世紀初頭まで大王家が姓を有してたとする説もあるが、中国風の一字姓でないことから「阿毎」は姓でないとする説もある。大王家の「倭」姓は、中国冊封体制から離脱した5世紀末ないし、氏姓制度形成進んだ5世紀末から6世紀前半までの間に放棄されたとする説も提出されている。文献では、姓はアメ、字はタラシヒコと記述されているが、日本語では、「天垂らし彦」になり、天から垂れた降りた男子という意であり、つまり「天孫」という意味になる。中国語では「天子」(『通典』では「天児」)がこれに当たるが、中国天子とは意味が異なる。一方で熊谷公男『万葉集』の「天の原 振り放(さ)けみれば 大王の 御寿(みいのち)は長く 天足らしたり」(巻二から一四七)の歌など参考に、「天の満ち足りた男子」という意味の尊称解釈している(この説は森田悌支持している)。森田悌邪馬台国時代では、「天垂らし彦」の称号があったとは考えがたいとし、以後時代大陸思想の影響から芽生えたとみている(また、天子」という語が反感受けたのに対し、「天垂らし彦」の反応低かったことに注目している)。王仲殊も阿毎多利思比孤は「天足彦(天の満ち足りた男子)」とした(天垂らし彦説もあると紹介した上で、この語の中にはすでに「天子「天皇」といった意味が含まれており、これは最初国書日中両国君主を共に「天子」と称したため、中国側不快感あおったころからそれぞれ天子を「皇帝」と「天皇」呼び変えて区別示したとする。 吉田孝は、倭国5世紀末に中国冊封体制から離脱し7世紀初頭推古朝でも倭国王冊封されなかったことが、大王天皇が姓を持たず「姓」制度超越し続けたことにつながったとしている。

※この「皇室と氏姓」の解説は、「皇室」の解説の一部です。
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