正倉跡とは? わかりやすく解説

出雲国山代郷遺跡群
正倉跡
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正倉跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 16:19 UTC 版)

出雲国山代郷遺跡群」の記事における「正倉跡」の解説

出雲国意宇郡にあった山代郷の正倉とされる遺跡1978年から始められ発掘調査結果律令制の時代用いられ大規模な正倉の跡とされた。 東西100m南北150m上の敷地中央部掘立柱建物見られ、そこが管理施設の跡であった推定されている。東端には桁行4間・梁間3間の総柱建物3棟南北均等に配置され倉庫群の約30m西側中央部挟んだ西側にも同様の倉庫跡が複数確認され建物26棟、柵列3条溝状遺構5条土坑2か所が確認されている。

※この「正倉跡」の解説は、「出雲国山代郷遺跡群」の解説の一部です。
「正倉跡」を含む「出雲国山代郷遺跡群」の記事については、「出雲国山代郷遺跡群」の概要を参照ください。

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