出雲国山代郷遺跡群
正倉跡
北新造院跡
北新造院跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 16:19 UTC 版)
北新造院跡は、以前から来美廃寺の呼称で知られ、『出雲国風土記』にて現地の豪族である日置君目烈が建立した「新造院」に充てる説が存在していたが、本格的な調査が実施されたのは1996年のことであった。調査の結果、金堂及びその本尊とみられる三尊仏が置かれた痕跡、更に金堂周辺を取り巻く伽藍の跡が確認され、7世紀末から11世紀末に火災で廃寺になるまで存続した寺院で、『出雲国風土記』の記す「新造院」の跡であることが確定した。なお、『出雲国風土記』には同じく現地の豪族である出雲臣弟山が建立した「新造院」も存在しているため、そちらの跡地と推定される四王寺跡を「南新造院」(正倉跡の東側にある。現在、島根県指定史跡)と称し、こちらを「北新造院」と称した。『出雲国風土記』の記述を裏付ける仏教遺跡の存在が確定したことから、前述の通り、2002年に国の史跡に追加指定された。
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