北新造院跡とは? わかりやすく解説

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出雲国山代郷遺跡群
正倉跡
北新造院跡

名称: 出雲国山代郷遺跡群
 正倉跡
 北新造院跡
ふりがな いずものくにやましろごういせきぐん
 しょうそうあと きたしんぞういんあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 島根県
市区町村 松江市大庭町矢田町山代町
管理団体
指定年月日 1980.12.05(昭和55.12.05)
指定基準 史2,史3
特別指定年月日
追加指定年月日 平成14.12.19
解説文:
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  出羽仙台街道中山越  出西・伊波野一里塚  出雲国分寺跡  出雲国山代郷遺跡群  出雲国府跡  出雲玉作跡  函石浜遺物包含地

北新造院跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 16:19 UTC 版)

出雲国山代郷遺跡群」の記事における「北新造院跡」の解説

北新造院跡は、以前から来美廃寺呼称知られ『出雲国風土記』にて現地豪族ある日置君目烈が建立した新造院」に充てる説が存在していたが、本格的な調査実施されたのは1996年のことであった調査結果金堂及びその本とみられる三尊仏置かれ痕跡、更に金堂周辺取り巻伽藍の跡が確認され7世紀末から11世紀末に火災廃寺になるまで存続し寺院で、『出雲国風土記』の記す「新造院」の跡であることが確定した。なお、『出雲国風土記』には同じく現地豪族である出雲臣弟山が建立した新造院」も存在しているため、そちらの跡地推定される四王寺跡を「南新造院」(正倉跡東側にある。現在、島根県指定史跡)と称し、こちらを「北新造院」と称した『出雲国風土記』記述裏付ける仏教遺跡存在確定したことから、前述通り2002年に国の史跡追加指定された。

※この「北新造院跡」の解説は、「出雲国山代郷遺跡群」の解説の一部です。
「北新造院跡」を含む「出雲国山代郷遺跡群」の記事については、「出雲国山代郷遺跡群」の概要を参照ください。

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