出雲国府跡
名称: | 出雲国府跡 |
ふりがな: | いずもこくふあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 島根県 |
市区町村: | 松江市大草町・山代町・竹矢町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1971.12.13(昭和46.12.13) |
指定基準: | 史2 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S46-5-118出雲国府跡.txt: 出雲国庁が意宇平野に所在したことは『出雲風土記』に明らかであるが、その所在地については最近の研究成果によって大草町字宮ノ後の付近が有力視されるにいたった。そこで昭和43年から3年間にいたってその付近を発掘調査した結果、奈良時代だけでも前後六時期に分けられる掘立柱建物の遺構であることが判明した。しかも発見された溝地割と出雲の総社六所神社脇の遺構を検討すると近江国衙(史跡)の地割とも一致し、出雲国庁の正庁後殿の位置もほぼ推定が可能となった。なお、大原評□」「進上兵士財□□□」などと読みうる木簡も出土し、国庁と同所にあったと『風土記』に記す意宇郡衙や意宇軍団の建物、ならびに上記遺構群の北方茶臼山の麓にひろがる条里制の遺構など、今後調査研究すべき範囲は広く、とりあえず遺構群を中心とする周辺地域を指定することになったものである。 |
出雲国府跡
出雲国府跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 03:39 UTC 版)
島根県松江市大草町の六所神社周辺だとされている。1968年(昭和43年)から1970年(昭和45年)の発掘調査で、多数の掘立柱建物跡・石敷遺構・溝状遺構、木簡・墨書土器、大量の食器類・硯・重さを量る分銅・銀貨の和同開珎・軒瓦・玉づくりをする原石・玉類・砥石(といし)などが出土している。国庁外郭は、幅3メートルの大溝で区画している。推定復元すると一辺167メートル四方を大溝で区画し、その南半分に南北96メートル、東西72メートルの政庁区画を造り、その中に正殿・東西脇殿などを配置したと考えられている。北半分も溝で区切り、官衙建物を配置したと推定されている。周辺地区で現在水田になっているところは条里制のあとがよく残っている。建物遺構は7世紀後半から9世紀にかけて六時期の変遷が認められ、7世紀後半まで溯る国庁の最も古い例の一つだとされている。また、1999年度(平成11年度)からも発掘調査が行われている。
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