出雲国造神賀詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:22 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は、新任の出雲国造が天皇に対して奏上する寿詞。
概要
出雲国造は都の太政官の庁舎で任命が行われる。任命者は直ちに出雲国に戻って1年間の潔斎に入り、その後国司・出雲大社祝部とともに改めて都に入り、吉日を選んで天皇の前で奏上したのが神賀詞である。六国史などによれば、霊亀2年(716年)から天長10年(833年)までの間に15回確認できる。その性格としては服属儀礼とみる見方と復奏儀礼とする見方がある。
『延喜式』にその文章が記述され、『貞観儀式』に儀式の内容が記されているが、前者の文章は8世紀中期以後の内容であると推定されている。内容は天穂日命以来の祖先神の活躍と歴代国造の天皇への忠誠の歴史とともに、明つ御神と表現される天皇への献上物の差出と長寿を祈願する言葉が述べられている。
参考文献
- 関和彦「出雲国造神賀詞」『日本歴史大事典 1』(小学館 2000年)ISBN 978-4-09-523001-6
- 井上寛司「出雲国造神賀詞」『島根県大百科事典』(山陰中央新報社 1982年)
関連項目
出雲国造神賀詞
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『出雲国造神賀詞』では記紀と少し異なる国譲り神話が語られている。 高天原を治める高御魂命(高御産巣日神)が出雲国造の遠祖・天穂日命を国土の視察に派遣した。天穂日命は地上をくまなく視察した後、「豊葦原水穂国は、昼はハエのように喧しく、夜は炎のように光り輝く荒々しい神々が蔓延り、岩も木も青い水の泡までもが物言う荒れ狂う国である」と報告し、自分の子である天夷鳥命(あめのひなとり)に布都怒志命(経津主神)を副えて地上へ派遣した。荒ぶる神々は平定され、地上を開拓経営した大穴持大神は国譲りに同意した。すると大穴持命は自分の和魂(大物主神)を大御和社に、更に子たち(阿遅須伎高孫根命・事代主命・賀夜奈流美命)をそれぞれ葛木の鴨、宇奈提(うなせ)、そして飛鳥に鎮座させて、皇室の守護神とした。そうした後に、大穴持命自身は八百丹杵築宮に鎮まり留まったという。
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