北方の安全確保
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/11 06:47 UTC 版)
「タウロメニオン包囲戦」の記事における「北方の安全確保」の解説
レギオンからの脅威があるため、シケリア西部のカルタゴ領に対する攻撃は二正面作戦となる可能性があり、ディオニュシオスはこれを実施しなかった。その代わり、メッセネにロクリから1,000人、メドマ(en、現在のロザルノ)から4,000人の入植者を受け入れてこれを再建した。またギリシア本土のメッセネ(en、現在のメッシニア県メシニ)からも幾らかを受け入れたが、スパルタがこれに反対したため彼らは後にティンダリス(en)に移された。メッセネの元々の住民もティンダリスに入植させた。ティンダリスは紀元前395年にディオニュシオスがシケル人都市であるアバカエヌム(現在のティンダリとミラッツォの間の内陸部)に土地を割譲させて建設した都市であるが、最終的には5,000人の人口となった。メッセネの再建とディンダリスの建設により、ディオニュシオスはシケリアの北西部の安全を確保した。レギオンはディオニュシオスがメッセネをレギオン攻撃の基地として使うことを恐れ、メッセネとティンダリスの間にミラエ(現在のミラッツォ)を建設し、ナクソスとカタナの難民を入植させ、メッセネの領土を縮小させた。レギオンに支援されたミラエは、シュラクサイを追放された将軍ヘロリスを指揮官として、メッセネのアクロポリスを攻撃した。しかし、メッセネ軍とディオニュシオスが派遣した傭兵はミラエ軍に勝利し、逆にミラエを攻撃しこれを降伏させた。ミラエの住人は街を去ることが許され、多くはシケル人領域に避難した。
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