ちゃく‐ざ【着座】
着座家
(着座 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 04:20 UTC 版)
着座家(ちゃくざけ)は、江戸時代の諸藩の上級藩士の家格の一つ。
細かい定義は、諸藩によってまちまちであるが、家老職になり得る家格という意味で使用される場合と、広義の老職、つまり年寄衆や中老職になり得る家格という意味で使用される場合がある。また着座または着座家の名称がない藩も存在している。
概要
着座家は「家老格の家柄」と同義で使用されることもあるが、「家老格」「家老並み」などというと家老職になれない家柄の者が一代家老に抜擢されたときに使うこともあり、混乱することがある。その点で、着座家という表現は誤解を招かない。着座家とは、家老職になり得る資格を有する家柄であるから、着座家出身でも実際に就任している役職は、用人や番頭ということは、しばしばあった。
また着座家という呼称は、栄誉的な呼称として使用されることがあった。
過去に家老を出したことのある家に、すべてその格式を与えた藩もある。あるいは制度的なものでなく、家老であったことのある家が慣用的に着座家を自称することもあった。
同様に、着座家の意義を広義に捉える藩にあっては、中老や年寄衆を出したことのある家に着座家の呼称を許すこともあった。江戸時代の初期には、家老と年寄衆が未分化であったことが背景にある。
江戸時代後期から幕末にかけて、着座家の呼称の制度的な有無にかかわらず、家老になり得る家柄の藩士は、増加の一途を辿った。江戸時代後期には、家老定員の10倍以上となる着座家を持つ藩もあり、着座家だからといって容易に家老職に就任はできなかったようである。中老や年寄衆になり得る家格という意味で使用している藩にあっても同様である。
着座家は、永代家老や家老連綿の家格よりは相対的に落ちるが、諸藩・藩士の中で最高クラスの家柄を意味する。ただし、永代着座あるいは着座連綿の呼称で永代家老を意味する藩もある。
着座家が存在する藩
着座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:42 UTC 版)
鳥取藩最高の格式。家老職・御留守居役に補任される。 荒尾但馬家(伯耆米子領1万5000石・藩主外戚)米子城代、維新後男爵 荒尾成利-成直-成重-成倫-成昭=成昌=成煕-成尚-成緒=成裕-成富 荒尾志摩家(伯耆倉吉領1万2000石・藩主外戚)維新後男爵 荒尾嵩就-宣就=秀就=勝就=甫就=斯就-厚就-為就-世就=直就=光就-嘉就 鵜殿家(因幡岩美領5000石・藩主外戚)鵜殿長次-長之-長定-長春=長親(鵜殿長政の四男)-長民=央尭(池田仲央の三男)=政長(池田政晴の長男)-長春-長世-長発-長道 津田家(伯耆八橋領7000石・重臣)津田元綱-元房-元匡-元茂-元長-元善=元知(荒尾重就の二男)-元武-元義=元謨(荒尾成煕の三男)-元貞=元統(元貞の弟)=元亮(元統の兄)=元(鵜殿長発の二男) 和田家(伯耆松崎領5500石・重臣)和田信雄-正信=三正(荒尾成房の三男)=三信(荒尾嵩就の二男)-真信=昭信〈真信の孫)=時信(木下嗣時の子 )ほ定信(池田定賢の次男)-信之-信成=信古(池田仲雅の子)-信元=信旦(鵜殿藤次郎の二弟)=信実(信古の二男) 乾家(因幡船岡領5000石・重臣)乾長次-直幾-長義-知長-豊長=長孝(岡山藩家老池田俊清二男)-長徳-長胤-長明-徳脩=徳(鵜殿主水介の弟) 山池池田家(2200石・藩主一門・池田家嫡流)池田之政(岡山藩家老池田由之の四男)-之信=之成(池田吉左衛門の子)-之寿=之茂(池田定賢の三男)-之昌=某(荒尾伊折之助の弟)=之純-之貞-之徳 下池池田家(3000石・藩主一門)池田知利(池田利政の二男)=知定(荒尾成直の二男)=知至(池田仲澄四男)=利恭(岡山藩家老日置忠明の六男)=利久(池田仲央の四男)-利仲-利寿-利安 池田加賀守家(2000石・藩主一門)池田政広=政武(福田兵部の七男)=政令(政武の兄)-政直-政元=政林(政令の四男)-政長-某=太司馬(横河一学の弟)-弁之丞=主書介(池田兵庫介の子)-政実=悦吉(池田雄吉の長男)
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