和田家とは? わかりやすく解説

和田家住宅

(和田家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/22 08:36 UTC 版)

和田家住宅


妻側

所在地 岐阜県大野郡白川村荻町997
位置 北緯36度15分36秒 東経136度54分27秒 / 北緯36.26007度 東経136.90763度 / 36.26007; 136.90763座標: 北緯36度15分36秒 東経136度54分27秒 / 北緯36.26007度 東経136.90763度 / 36.26007; 136.90763
類型 庄屋住宅
形式・構造 木造、合掌造り切妻造茅葺
敷地面積 3,583.32 m2
延床面積 桁行22.3 m×梁間12.8 m
建築年 江戸時代末期
文化財 世界遺産白川郷
重要文化財1995年12月26日指定)
所在施設・区域 白川郷
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和田家住宅(わだけじゅうたく)は、白川郷として知られる岐阜県大野郡白川村の萩町地区にある合掌造り家屋。重要文化財に指定されている。

概要

和田家は1573年天正元年)よりつづく家柄で、当主は代々「弥右衛門」を名乗った。江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許された。また火薬の原料である塩硝(焔硝)の取引で繁栄した。和田家住宅の建築時代は諸説あるが、文化庁によると江戸時代末期であるという。

往時には20人以上の人が住んでいたという。それは山がちで土地が狭かったこの地では、次男三男が分家することが難しく、結果的に長男一家を中心とした大家族となったのである。またこのような理由から、家屋の規模も大型となった。和田家住宅は1995年平成7年)12月26日主屋土蔵便所の3棟ならびに土地が重要文化財に指定された。現在も住居として使われているが、内部の見学が可能である。

地理

白川郷は「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されている。和田家住宅はその白川郷・荻町地区の北の外れにある。荻町城跡展望台に上がり、下を見下ろすと和田家を一番手前に見ることができる。

建築概要

平側
展望台からの風景。手前中央に和田家住宅が見える(2009年9月21日撮影)
水田に映る和田家住宅

主屋は西を正面として建ち、主屋の手前右側に便所、後方(東側)に土蔵が建つ。

  • 主屋
合掌造り。屋根は切妻造茅葺。平面規模は桁行22.3 m梁間12.8 m。3階建てであり、2階より上階では養蚕が営まれていた。1階の囲炉裏から暖をとり、風通しを良くする目的で2階から上の床板には隙間がある。また囲炉裏の熱や煙には家屋の防虫・防湿効果がある。主屋は妻側を南北に向けて建つが、これは風通しを良くするための工夫である。
  • 土蔵
屋根は切妻造桟瓦葺。平面規模は桁行6.1 m、梁間5.3 mで、2階建てとする。
  • 便所
屋根は切妻造茅葺。平面規模は桁行7.3 m、梁間4.3 m。
  • 土地
上記建物とともに土地3,583.32 m2(水路、石垣、池を含む)が重要文化財に指定されている。宅地内には融雪のための池、石組み水路を構え、周囲には防風林が配置されている。和田家住宅は主屋とともに、付属建物や水路、石垣などを含めた屋敷構え全体が良好に保存されている点が、文化財として高く評価されている。

アクセス

公開時間・料金

  • 9:00 - 17:00
  • 休館日:不定

周辺の観光スポット

脚注

  1. ^ 国指定重要文化財ㅤ和田家”. 白川郷観光協会. 2020年4月13日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク


和田家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 20:31 UTC 版)

ちりとてちん (テレビドラマ)」の記事における「和田家」の解説

和田喜代美→青木喜代美(わだ きよみ→あおき きよみ)/徒然若狭つれづれてい わかさ) 演 - 貫地谷しほり/桑島真里乃少女時代)/上沼恵美子(五十代:声のみ) 本作ヒロイン1973年昭和48年12月31日生まれ福井県北部鯖江市出身9歳の年に家族福井県南部小浜市引越し高校卒業するまでを小浜で過ごす。 マイナス志向で、不器用動作大げさ何かにつけて「え!」と驚く癖があり、妄想癖がある。また婚姻届を書くまで夫・草々本名知らなかったり、買い物では何かを買い忘れることが多いなど、抜けているところもある。そのため、祖父正太郎師匠若などからは落語登場人物似ている評されている。 小浜でのあだ名は「ビーコ」。小学校同姓同名和田清海と区別するために、清海の「和田A」に対して和田B」とあだ名され、転じてビーコ」と呼ばれるようになった学校アイドルである優等生清海何をやっても上手くいかない不器用な自分比較し主役脇役、光とその裏側の陰、と捉え劣等感拗らせたまま高校生活終える。 そんな脇役人生変えるため、高校卒業単身大阪へ。偶然出会った若の元に身を寄せるようになり、徒然亭一門関わる中で落語家になることを決意紆余曲折経て徒然亭への入門認められ若の「若」の字を取り福井県若狭地方出身であることに由来した若狭」という芸名与えられた。徒然弟子入り前は若と草々から「キーコ(喜ィ公)」「喜六」、弟子入り後は徒然周囲の人物から「若狭」と呼ばれている(兄弟子小草若は入門前後数年間、本名呼んでいる)。初高座19歳演目は「ちりとてちん」。 落語家として行き詰ったときに若の指示受けてから創作落語演じるようになる内容少女時代からの経験基づいた話が主。 兄弟子草々片思い続けていたが、ふとした誤解から草々破門なりかけ単身迎え行ったことがきっかけで両思いに。その後恋愛禁止期間であった3年間の内弟子修行終えて草々プロポーズされ1996年1月3日結婚式挙げた2006年秋妊娠判明常打ち小屋ひぐらし亭」のオープン祝いの手伝いをして過ごすうちに、糸子の生き方感銘を受け、「おかあちゃんとしての道を進む決意をする。祖父正太郎命日の日の「ひぐらし亭」の高座演目祖父師匠の縁深い「愛宕山」)で落語家引退宣言物語2007年春の彼女の出産幕を閉じる。 ちなみに清海喜代美も三丁町芸者の名前から取られ名付けられたことが後に明らかになるが、これは二人父親である秀臣と正典の間の秘密である。 なお、「きよみ」という名前の人物前作どんど晴れ』と次作『瞳』にも登場していた。 和田糸子(わだ いとこ) 演 - 和久井映見 喜代美の母。福井県北部鯖江市出身旧姓木野(きの)。実家小間物屋幼い頃に父を亡くし、母一人子一人家庭育った塗箸職人正典結婚後、鯖江市住んでいたが、その後家族と共に小浜市へと移る。 他人とは感覚がややずれたところがあり、天然ボケ気味だが楽天的な性格なので失敗して気にしない長男正平曰く存在自体突拍子もないハチャメチャ人物一方困窮した家計魚屋食堂でのパート勤務助けるなど、古風なお内助の側面見せる。家族世話を焼きたがる向きがあり、特に不器用な喜代美が心配でたまらない。喜代美は母親世話焼き鬱陶しく思っていたが、初高座失敗した際には八つ当たりしながらも、最後には肩にすがって泣くなど、心の奥底ではその包容力大きく依存している(これは最終週伏線ともなっている)。なお世話焼き性格家族に対してだけではなく順子若などにも向けられた。 後述の「へしこ丁稚羊羹騒動逸話喜代2度目高座成功に導くなど、当時とんでもない事件に過ぎなかった糸子との経験は、後の落語家として喜代美の成功生かされる五木ひろし大ファンで、十八番は「ふるさと」。その熱狂ぶりは相当な物で、陣痛の中、五木ひろし出番が来るまで紅白歌合戦を見続けたほど。しかし「ふるさと」のイントロ終わって歌が始まった時に糸子は陣痛我慢できなくなり分娩室運ばれていった。なおも未練残していた糸子のために正典分娩室の前で「ふるさと」を熱唱し、喜代美が生まれた。 また非常に鼻がきくスイカ腐ったかどうかと言うことだではなく清海マンション出て行方不明になった喜代美の居場所喜代美の陣痛もなぜかかぎ当てた和田正典(わだ まさのり) 演 - 松重豊 喜代美の父。小浜市出身。糸子と同い年高校卒業後、3年間正太郎の元で塗箸修行をしていたが、物語が始まる10年前に糸子の母親が病に倒れ、糸子を助けるために修行投げ出し家を出たその間正太郎とは絶縁状にあったが、塗箸家業途絶えることを危惧して鯖江眼鏡工場退職妻子とともに小浜戻ってきた。出戻った後も正太郎喧嘩絶え反目しあうが、正太郎の死の間際真意を知る。父の死後近代的塗箸工場を営む兄弟子・秀臣の下で修行積み9年後に独立塗箸店を再興した当初は売行き芳しくなく、そこに付け込まれる形で秀臣に合併持ち掛けられていた。塗箸をただの宣伝材料としか考えない秀臣のやり方反発していたが、後に秀臣の本心知った後は、和解し共に塗箸業界盛り上げるために尽力した。 父に似て生真面目頑固な性格。いつも眉間にしわ寄せている。家族冷静に突っ込む一面もあるが、自身ボケていることも多い。喜代美が落語家になることを当初反対していたが、正太郎喜代美を落語へと導いた考えるようになり落語家になることを認め応援する立場回った和田小梅(わだ こうめ) 演 - 江波杏子 喜代美の祖母正典の母。地元では名の知れた芸者三味線名人粋な性格当時流行していたバブルガム・ブラザーズ米米CLUBの曲を好んで聞くなど、最新流行にも敏感若に弟子入りした喜代美を見て正太郎遺言(「ぎょうさん笑え」)を実行するには自分一歩踏み出さければならない気付き友人からの依頼受けて三味線教えるためにスペイン移住旅立つ際、若に自分若い頃着ていた着物喜代美が高座上がる時の衣装として託している。また、内弟子修行中の喜代美を励ました草々喜代美の披露宴の際は小次郎からFAX連絡受け取り急ぎ帰国その時はすぐにスペイン戻り1999年に再び小浜戻ってきた。 作法教育には厳しく、それが後に喜代美が落語家志すにあたり綺麗な仕草として生きることとなる。若は小梅に対して喜代美の箸使いがうまいと誉めている。 なお、途中で小梅スペイン移住するのは、演じ江波舞台大奥出演仕事入っていたためである。 和田正太郎(わだ しょうたろう) 演 - 米倉斉加年 喜代美の祖父正典の父。1982年昭和57年10月11日他界小梅には「正太郎ちゃん」と呼ばれている。小浜でも数少ない若狭塗箸の名職人塗箸修行放棄して家を出た正典をなかなか許そうとはしなかったが、実は正典塗箸継いでほしいという望みの裏返しであったと死の間際告白する落語好きで喜代美が落語興味を持つきっかけ作り喜代美には「喜代美、ぎょうさん笑え一回きりの人生や。ぎょうさん笑ろた方がええ」という言葉を残した。 いつも正太郎聞いていたテープ正典正太郎塗箸を継ぐことを告げた日に小浜開かれた若の独演会演目は「愛宕山」)を録音したものであり、正太郎若に頼み込んでもらったのだったそのこと正典喜代美、そして徒然亭一門影響与えた死後も時々登場しており、地獄若と再会して若を地獄寄席へと案内した他、引退決意した喜代美の前にも姿を現した。 和田小次郎(わだ こじろう) 演 - 京本政樹 喜代美の叔父正典の弟。堅実な兄とは違い独身定職持たない山師。いつも失敗に終わるもの儲け話には目がない。その服装独特なもので派手なアロハシャツ着用し、頭にはサングラスカンカン帽を身に着けている。 奈津子塗箸取材のために和田家を初め訪れた時にその美しさに目を奪われたが、糸子の失敗料理「へしこ丁稚羊羹」を誤って奈津子食べさせてしまった。ガラクタ好きで、ゴミの山態となっていた奈津子部屋見て宝の山だと興奮。これがきっかけでさらに奈津子注目し始め連絡しあう仲になった1993年の秋、キズ物の塗箸売り方めぐって正典対立したことがきっかけで家を飛び出しヒッチハイク大阪へ。奈津子部屋転がり込み以後一緒に暮らしている。大阪に住むようになってからは若邸にもしばしば出入りしている。 夫婦喧嘩していた正典と糸子が昔を思い出して和解したのに影響され奈津子プロポーズする貯金200万円貯めることを結婚の条件提示された。(喜代曰く)働くという概念すらない上に、相変わらず一山当てて儲けることにロマン感じていたため、ずっと結婚できずにいた。ある日、ついに宝くじ当選するが、塗箸産業盛り上げてこうとする正典竹谷らの姿を見て自分の考え疑問抱き当選金を五木ひろし塗箸イベントに呼ぶためにあてがってしまう。そのこと相談しなかったことで奈津子険悪になるが、最終的にお互いをわかりあい結婚する。なお、当選金は五木好意小次郎元に返され最終的に二人希望ひぐらし建設資金となった和田正平(わだ しょうへい) 演 - 橋本淳/星野亜門少年時代喜代美の2歳年下の弟。喜代美と違って手先が器用でしっかりもの。和田家の中では抜きん出て洞察力長けており、それゆえ家族気持ち悪がることもある。喜代美が落語家になると宣言したときや草々喜代美との結婚申し入れた時は、父の正典よりも落ち着いたところをみせた。「他愛ないのう」が口癖恐竜好き。高校卒業後、小浜市近傍福井理科大学架空)に進学し地質学を学ぶ。義兄で、同じく恐竜好きの草々のことを慕っている。 苦し家計見て苦悩し高校卒業後の就職考えたり、留学考えたのが原因で糸子が正典対立して家出したことを知ると、心ならずも留学断念したりと家族思いの面もある。大学卒業後の就職試験にすべて落ちた後は、小次郎真似た振る舞いフリーターをしていたが、正典勧め塗箸家業手伝う。秀臣の真意聞いてから塗箸家業を継ぐのを辞め一時期正典険悪になったものの和解恐竜博物館で働くため小学校の教員となり、最終回では恐竜博物館勤めている。

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