徒然亭一門
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「ちりとてちん (テレビドラマ)」の記事における「徒然亭一門」の解説
徒然亭草若(三代目)(つれづれてい そうじゃく) 演 - 渡瀬恒彦 徒然亭一門を率いる落語家。本名・吉田仁之助(よしだ じんのすけ)。2000年(平成12年)4月1日に他界。 かつて「上方落語界の四天王」と称されていたが、喜代美と出会う3年前の一門会の日、高座の直前に妻・志保の余命を知り動揺。高座に上がれなくなる。天狗座での公演に穴を開けたために天狗芸能会長の逆鱗に触れ、天狗芸能を追放された。喜代美と出会った当時は落語をしておらず、借金まみれで、酒浸りの日々を送っていた。ずっとそばに従っていた草々や戻ってきた弟子達に対してわざとそっけない態度をとったが、これは自分にこだわってくすぶるのを懸念してのこと。草々などの弟子達の熱意や喜代美を見ていくうちに落語への情熱が甦り、ついに落語家復帰を決意する。尚、草若は彼の代で三代目となる。 落語家復帰前は無精ひげを生やし、頭も白髪混じり、暖かい季節でもどてらを着用するなどさえない格好をしていたが、復帰後は髪を黒く染め、サスペンダーを愛用するなどビシッと決めている。面白いと思えばその場のノリで行動することがよくあり、内弟子修業中で恋愛御法度だった喜代美を草々絡みでからかって遊んだこともあった。情操教育を大事にしており、特に内弟子修業時代は本人の特徴に合った噺を教える傾向がある。また弟子に落語を引用して諭すことも多い。小草若が落語家を目指すことを心の底から喜んでいたものの、あくまでも師匠として厳しく指導したため、小草若が自信を失う原因になったが、それを悔やむと同時に「小草若に向いた芸がある」と気にかけていた。 1999年に病にかかる。医者からも手遅れと診断され、長年の夢であった「常打ち小屋」を建てようと決意。鞍馬会長に支援を頼み「徒然亭 師弟の会」で成功を収めたら考慮すると約束を取り付ける。しかし、「地獄八景亡者戯」の稽古中に病状が悪化、弟子達に地獄八景亡者戯をそれぞれに分けて話すように指示して皆を見送り、「草若弟子の会」の成功を見届けるかのように息を引き取った。 徒然亭草々(つれづれてい そうそう) 演 - 青木崇高/森田直幸(少年時代) 草若の二番弟子で、後に喜代美の夫となる。本名・青木一(あおき はじめ)。1963年(昭和38年)8月1日生まれ。 母を早くに亡くし、布団職人だった父を亡くしてからは親戚をたらい回しになっていた。中学生の時、京都の民宿で徒然亭一門と出会い、卒業後に入門。天涯孤独の身であり、草若は父親代わりでもある。そのため師匠思いで、草若の高座すっぽかし事件の後も、草若の下に唯一残った。巨体・強面・大食いで性格は粗暴かつ短気。ただし根は純情で優しいところがある。普段は食事の内容には無頓着だが、オムライスにはこだわりがあり、一番好きな食べ物は志保が作ったオムライス。またイカ串も好物で瓶ごと買うこともあるらしい。恐竜好きであり、同じく恐竜好きの正平とは仲が良い。 落語を愛し、落語に対しひたむきな情熱を捧げる落語バカ。一度聞いた噺を間や身振りを含めてすべて覚えてしまう天与の才を持ち、しかも複雑な身の上を察した草若が、唯一自分から請うて弟子にした人物である。柳眉・尊建と三人で「上方落語三国志」と称される実力派。寝床寄席の評判が高まった1995年以降は草若の芸を受け継ぐ正統派の落語家として注目されている(尊建は「コピー、ものまね」と苦言を呈している)。 初高座のお祝いに志保から買ってもらった一張羅は派手な開襟シャツにストライプの入った紺の上着と、そろいのパンツに素足に草履と、おおよそ堅気の若者に見えない、一種独特のもの。以前は天然パーマの髪型だったが、草若が落語家として注意するのを願いわざと伸ばしていたものであり、徒然亭再出発の際には草若の指摘を受け髪を切っている。父が作ったベージュ単色の地味な座布団を非常に大切にしており、高座にはいつもそれを用いる。 中学卒業直後に草若に弟子入りしたためか、落語以外の常識に疎いところがあり、コンパや五木ひろしの顔を知らなかったりする。小草若とは犬猿の仲で些細なことで喧嘩してしまうが、本心では小草若に草若の跡を継いで欲しいと思っていた。鈍感なところがあり、奥手な面を持つ。一時は清海と両思いとなったこともあったが、清海が東京行きを決意したことにより破局。その後、尊建を殴った小草若をかばったために草若から破門にされた時、単身迎えに来たことがきっかけとなり、喜代美に惹かれるようになっていく。1996年1月1日に喜代美へプロポーズし、1996年1月3日に結婚式を挙げた。つき合ってから結婚までの期間が短かったことが災いし、喜代美に対して不信感を抱いて入籍しなかったが、順子に接する喜代美を見て思い直し、小浜市役所で入籍。和田家の者とは結婚前から良好な関係を築いており、糸子と正典(元は正太郎)の言葉にも強い影響を受けている。 なお芸名は初高座前まで決まらず、草若が「そうそう」と話しかけた時に命名された。 徒然亭草原(つれづれてい そうげん) 演 - 桂吉弥 草若の一番弟子。本名・原田優夫(はらだ まさお)。芸名もそれに因んでいる。1953年(昭和28年)生まれ。18歳で草若に入門。 落語に対する知識や思いは人一倍。三味線や太鼓などのお囃子もできる ので草々は草若の次に草原を尊敬しているが、上がり症で肝心なところで噛んでしまうため、全く客の笑いが取れずにいた。 草若が高座をすっぽかした事件後落語家をやめ、ディスカウントショップ「おとくやん」で実演販売などの仕事をして妻と息子を養っていたもののうまく行っておらず、昔のことを思い出して悩んでもいた。喜代美に説得され、妻の言葉などに後押しされる形で落語家に復帰する。復帰後は一番弟子であることから草若一門のまとめ役となる。なお、復帰直後に三味線の指導を受けた小梅のことも師匠と呼ぶ。 筆頭弟子として、弟妹弟子への面倒見がとても良い。5回目の寝床の寄席では(最後には噛んだが)終始噛まずに「天災」で客を笑わせ、喜代美などの妹弟子や弟弟子の面倒を見てきたことによって才能が花開いたと草若に認められた。1999年の時点では落語教室を開き、自らの学識と面倒見の良さを活かして忙しい日々を送っている。2007年に、長年の功績を認められ、大阪府から賞を受賞した。 落語家を志すにあたっては、70年代、フォークを標榜する憧れの従兄弟が就職に際して態度を改めたことにショックを受けたのが影響したらしい。妻の緑とは草若の落語会を見た緑のアンケートに答えていったことが発端で付き合うように。新人が対象の落語コンクールを突破したらプロポーズすると決めていたが、入門10年目(知り合ってから8年目)のコンクールにも落選。プロポーズを諦めていたのを見かねた草若に説得され、結婚した。結婚や落語家復帰の経緯などから妻を深く愛しており、妻の内助の功を思い出して泣くことが多々ある。そのたびに徒然亭一門や磯七をあきれさせている。 徒然亭小草若→徒然亭草若(四代目)(つれづれてい こそうじゃく→ つれづれてい そうじゃく) 演 - 茂山宗彦/榎田貴斗(少年時代)/森川翔太(4歳) 草若の実の息子で、三番弟子。本名吉田仁志(よしだ ひとし)。1964年(昭和39年)生まれ。 草々の弟弟子だが入門日は草々とは一日違い。芸名はいつか「小さい」という字が取れるようにと願いを込めて付けられた。登場初期は1989年の草若の「徒然亭一門会すっぽかし事件」以降、一門でただ一人天狗芸能に残り、喜代美と出会ったころは関西で多くのレギュラーを抱える売れっ子芸人として活躍していた。しかし、1995年の時点では世間一般の人気に陰りが見え、番組降板が相次ぎ、かつてのアシスタントや鞍馬に冷たくあしらわれるなどの悲哀を味わっている。 草若が女の元へ行って高座をすっぽかしたと思いこみ、それが一門の離散や母・志保の死期を早めた要因となったとして草若を憎んでいたが、菊江から真相を知らされて草若への誤解が解け和解する。 タレント活動の時は「底抜けに○○やがな〜!」という持ちネタを使用する。このネタは志保の初七日の法要の時に正座して痺れて転び、思わず「底抜けに痺れましたがな〜!」と言ったことがきっかけで生まれた。尚、これを見た草若は小草若に向いたギャグだと考えた上で流行ることを予見している。 肝心の落語は1992年時点では「寿限無」しかできず、若狭の家族の前でその腕前を披露し、あきられてしまう一面も。1995年時点でも入門15年を経て「子ほめ」と「時うどん」を加えた3つにしか増えておらず、2年半で5本の若狭に大きく差をつけられていた。亡き草若の名前のプレッシャーから寝床寄席をすっぽかして一門の前から姿を消し、一時は落語を廃業することを考えていたが、立ち寄った小浜で落語家としての自分の原点を思い出し「草若」の名を継ぐ決心を固める。最終回で四代目として草若の名を襲名し鞍馬を感動させた。清海とは「ひぐらし亭」のスポンサーであり、自身を立ち直らせた機会を与えてくれたということで後にいい関係になったが、なかなか結婚までは踏み出せない模様。 父を喜ばすため、弟子入りを申し出ると決めていた日の一日前に草々が入門。目論見が外れたことが面白くなく、出会ったその日に喧嘩を仕掛けて以来、草々とは仲が悪い。「草々兄さん」と呼ばずに呼び捨てにしている。入門、初高座などでいつも草々に先を越されたため、草々に対してコンプレックスを抱き、落語バカぶりも気に入っていない。しかし、心の底では草々と出会ったことを喜んでもいる。 友春同様、初対面の時に喜代美に暴言を吐き、かばんで殴られたことで一目惚れした。その友春とは仲が悪い。照れ屋で恋愛に関しては不器用なところがある。喜代美が草々のことが好きだと知った後も好意は変わらず、周囲が高座名の「若狭」と呼ぶようになっても「喜代美ちゃん」と呼んでいた。喜代美と同様に妄想癖があり、喜代美とのことをあれこれ妄想して口に出しては草原と四草をしばしば呆れさせていた。 なお、「底抜けに○○やがな〜!」という時に使用するポーズは演じる茂山が考案した。茂山の祖父からも「作るからにははやらせるように」と指示され、2パターン考案。小浜のホテルのロビーでスタッフに初披露されたという。茂山は本業である狂言の舞台でも新作の演目で「底抜けに〜」というセリフを取り入れており、年末年始にNHKの公式サイトで披露された対談でそのことを知った桂吉弥は驚いていた。茂山によると脚本にはポーズについての具体的な指示はなく、「奇妙なジェスチャー」としか書かれていなかったそうである。 徒然亭四草(つれづれてい しいそう) 演 - 加藤虎ノ介 草若の四番弟子。四草という名もそのことに因んでいる。本名・倉沢忍(くらさわ しのぶ)。1962年(昭和37年)4月4日生まれであり、草々より年上。 シニカルで口が悪い。(草々曰く)「算段の平兵衛」のように狡猾ではあるが、どこか憎めない性格。賭け事好きで、なにかと賭け事のネタにしようとし、勝つためには手段を選ばない向きもある。ただし賭けの対象はうどんやそばなど少額のもの。常にクールに振舞い、女性にはよくもて、口説きのテクニックにも長けている。徒然亭門下では抜きん出て洞察力に長けている。実は後述する平兵衛との出会いにもあるとおり、情に厚いところもあるのだが、照れくささもあるからかそれを表に出すことをあまり好んではいない模様。 商社に勤めたが周りとまったく馴染めず退職。1986年、24歳の時に天狗座で草若の演じる「算段の平兵衛」を見て感動し、平兵衛のような男になりたいと思い、「算段の平兵衛」を覚えるために弟子入りを希望。しばらく草若につきまとった。草若は四草の性格と年齢からトラブルが起きることを懸念して断ろうとしたが、「天狗芸能よりも落語家の方がすごい」という言葉を聞いて「おもろい奴」だと思い直し、入門を認めることにした。そしてある時、草若が高座で「算段の平兵衛」をかけた後、四草に対して「(稽古をつけてやったので)やってみい」と言い、入門許可の意思を示した。草若が懸念した通り、当初は兄弟子達とのトラブルが絶えなかったが、後述の平兵衛との一件がきっかけで彼らとも打ち解けた。 草若の高座すっぽかし事件の後は落語家をやめ、天狗座近くの中国料理店「延陽伯」に住み込みで働いていた。だが、草若や落語に対する思いを忘れられず、天狗座への出前は積極的に引き受け、こっそり落語を聞いて稽古をしていた。落語家復帰を決意した草原に促され、自分も落語家復帰を決意する。寝床寄席の評判が高まった1995年の時点では、若い女性から人気がある。1999年の時点では実力をつけ、天狗座でしばしば高座を務めるまでに成長している。最終回では、突然女性に四草の子だとして押し付けられた子供の面倒を見るようになる。 ペットとして平兵衛という名の九官鳥(声 - 加藤虎ノ介)を飼っている。これは元々怪我して草若邸の庭で倒れていた物。この九官鳥が生きるか死ぬかを草若と賭け、賭けに勝利するためなどの理由で一生懸命世話して元気にさせ、草若に負けを認めさせて自分のものにしたという経緯がある。 いわゆる妾の子で名家の父親には会った事がなく、母親も四草の父親から一生暮らすのに困らないだけの額の金を受け取って男遊びに励むという複雑な家庭で育った為に冷めた性格になった。また草若の弟子の中では唯一の大卒である。 吉田志保(よしだ しほ) 演 - 藤吉久美子 草若の亡き妻で小草若の母。1989年に他界。その関係で回想シーンや写真での登場がほとんどであるが、後述するエピソードから大きな存在感を見せている。作中では語られないが「下座人情」などの著作が草若邸の書棚に並んでおり、生前は落語に関する作家、あるいは記者として活躍していた模様。 生前は囃子方を務めており、草若の高座のはめものをほとんど行なっていた。正太郎がいつも聞いていたテープの三味線も彼女の演奏である。不器用で、家事や三味線も習得には人の何倍も時間がかかった。喜代美が「辻占茶屋」で下座を担当することになった時、へこたれそうになった喜代美に対して草若が「不器用でええやないかい」と言ったのは志保のことが頭にあったからである。 好きな花はタンポポとかすみ草で、死後、草若は墓前にしばしばかすみ草を供えていた。また、草若たちから見て志保は「タンポポのような人」、草若と草々は今も仏壇にタンポポを供えており、喜代美が草若と出会った時、草若は志保を思ってタンポポを見ていた。 草々にとっては母親代わりでもあり、草々は初高座のお祝いに志保から買ってもらった一張羅をサイズが合わなくなった今でも大切に着ている。草々だけではなく他の弟子からも慕われており、喜代美が志保のかんざしを初めてさした時には誰がかんざしをさしてやるかをめぐり、4人の兄弟子の間でちょっとした争いが起きた。以後、喜代美は高座では志保の形見のかんざしをしている。また、喜代美が結婚式の際に着た白無垢も志保が使用した物である。 木曽山勇助/徒然亭小草々(きそやま ゆうすけ/つれづれてい こそうそう) 演 - 辻本祐樹 草々の一番弟子。 1999年に草々に憧れ、弟子入りを志願。草々が自分が未熟だと思い込んでいたため何度も断られたが、翌年弟子入りを認められる。落語研究会出身であり、話せるネタだけでも喜代美や小草若を優に超えている。自分の名前が入っている「鉄砲勇助」を好む。眼鏡をかけ髪を茶色に染めており、高座の際には眼鏡を外している。尚、徒然亭一門で髪を茶色くしているのは木曽山のみ。 一見すれば家事などソツなくこなす優等生だが、素顔は「鉄砲勇助」の登場人物・千三屋の如き筋金入りの嘘つきで(本人曰く、父親が「嘘つきの師匠」とのこと。)、ばれるかどうかのギリギリのラインで嘘をつく事を楽しむ嗜好の持ち主。落語家になるために落語家になることに反対している両親を死んだことにしたことで草々の怒りを買い破門を宣告されるが、喜代美が庇ったことで事なきを得て、草々に諭され両親を説得し、草々に認められる。 初高座は磯七が設けた散髪屋組合の落語会。当初はそのことに不満を感じ、わざと下手な演技をして出席しないように仕向けていたが、真相を知った喜代美と草々に諭され、心を入れ替えて散髪屋組合の落語会に挑んだ。演目は「鉄砲勇助」。草々から与えられた芸名「小草々」は小草若の芸名の由来と似た理由で名づけられた。喜代美から正典の塗箸と間違えて手先の器用さだけで作ったと語った正平の塗箸を渡されるが、「小手先だけで落語をせずに、自分一人で落語をしている気にならないように」として戒めるために大切にするようになる。 後に弟弟子もでき色々と教えてはいるが、嘘をつく癖は相変わらずである。
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