結婚まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 06:18 UTC 版)
「マーガレット・オブ・ヨーク」の記事における「結婚まで」の解説
こうした中、イングランド王国とブルゴーニュ公国は、フランス王国に対峙するため政治・軍事における同盟関係を必要とした。また、イングランド(羊毛の生産)とブルゴーニュ(毛織物産業)には、商品経済関係が成立していた。しかし、15世紀を通じ、イングランド王とブルゴーニュ公は1462年から65年をピークに、経済的対立を深めていた。そこで、国際的な商人共同体も、両国の婚姻に基づく結びつきの強化を支持した。 一方、フランス王家(ヴァロワ家)側にも、フィリップ善良公が死にゆく1467年頃、ウォリック伯リチャード・ネヴィルに仲介させて、ルイ11世とヨーク公リチャードをルーアンで引き合わせる計画があった。この対面では、ブルゴーニュ公領の分割と、マーガレットとブレス伯フィリッポ(後サヴォイア公)を縁組させることが話し合われる予定だった。フィリッポの妹シャルロットはルイ11世妃であり、サヴォイア家を通じ、イングランドのヨーク家とフランスのヴァロワ家を繋ぐ縁談であった。 しかし、フランス側の画策に先立つ1465年、シャルル突進公の前妻イザベルの逝去後、シャルルは既にロンドンに使者を送っており、エドワード4世はウォリック伯を介してシャルルとマーガレット、そしてシャルルの一人娘マリーと王弟クラレンス公ジョージとの二重結婚を提案した。 1467年にシャルルとマーガレットの結婚が決まり、これと同時に持参金や交易についても取り決めが行われた。
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