東大寺大仏建立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:09 UTC 版)
天平勝宝元年(749年)聖武天皇が国家のシンボルとして奈良の大仏を建設するとき、宇佐八幡神は天皇と同じ金銅の鳳凰をつけた輿に乗って入京し、これを助けた。 また、奈良時代の東大寺大仏造立の際に大神比義の子孫で宇佐八幡宮の禰宜尼であった大神朝臣杜女(おおがのあそんもりめ、大神杜女(おおがのもりめ)とも)が八幡神を奉じて入京し、大仏造立事業への援助を託宣したのが、中央の八幡信仰の進出のきっかけになった。 ※豊後大神氏の分家、三輪→大神おおみわに後から変えた方ではなく “おおがのもりめ”である。 これが元で八幡信仰が広がり、貞観二年(860年)、宇佐八幡宮から石清水八幡宮が勧請され都における八幡信仰の拠点になった。
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