大神杜女とは? わかりやすく解説

大神杜女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 16:58 UTC 版)

大神 杜女(おおが の もりめ)は、八幡信仰が全国へ広がるきっかけを作った人物[1][2]大神朝臣杜女とも。大神比義命(おおがのひぎのみこと)の子孫[3][4]


  1. ^ a b 國學院大學日本文化研究所『神道事典』P326、八幡信仰
  2. ^ 東大寺の大仏建立 | 八幡総本宮 宇佐神宮”. www.usajinguu.com. 2022年4月12日閲覧。
  3. ^ 國學院大學日本文化研究所『神道事典』P326~P327「八幡信仰」
  4. ^ a b c 八幡宇佐宮御託宣集
  5. ^ 小川進一『宇佐神宮と大神氏』P92~97、文芸社
  6. ^ 『続日本紀』、小川進一『宇佐神宮と大神氏』文芸社P189
  7. ^ 中野幡能『八幡信仰』(塙書房、1985年)


「大神杜女」の続きの解説一覧

大神杜女(おおがのもりめ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:08 UTC 版)

大神氏 (豊後国)」の記事における「大神杜女(おおがのもりめ)」の解説

奈良時代東大寺大仏造立の際に宇佐八幡宮禰宜であった大神朝臣女(おおがのあそんもりめ)が八幡神奉じて入京し、大仏造立事業への援助託宣したのが、中央の八幡信仰進出きっかけになった。※大神分家三輪大神おおみわに後から変えたではなく“おおがのあそんもりめ”である。 これが元で八幡信仰広がり貞観二年(860年)、宇佐から岩清水八幡宮勧請され都における八幡信仰拠点になった

※この「大神杜女(おおがのもりめ)」の解説は、「大神氏 (豊後国)」の解説の一部です。
「大神杜女(おおがのもりめ)」を含む「大神氏 (豊後国)」の記事については、「大神氏 (豊後国)」の概要を参照ください。

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